「なら俺の名を聞いて死にな。俺はアラステア・バロウズだ!」

 その時、一体何発の銃弾が空気を切り裂いただろう。2人の間を行き交った弾は1発ずつではなかったが、それを正確に知ることのできた者はただ1人しかいない。
 一方はまだ麦わらの香りも新しい帽子を失い、もう一方は自身の血液で地を紅く彩るに至る。それはまさにほんの一瞬、まだアラステアの声の余韻も消えないうちの出来事だった。

「……!」

 膝から崩れ落ちる男の隻眼は宙を舞う血を捉え、焼けた鉄の塊がその身にめり込む熱さに狂乱する。それは常にアラステアの相手が味わっていた苦痛であり、長銃が火を吹いた後に立っていたのはいつでも彼だった。そんなアラステアが勝負に敗北したと誰が信じるだろう? 何人もの相手に囲まれた絶体絶命の時でさえ、悪魔はその男を魔術のように凶弾から護ってきた。過去には片目を捨てざるを得ない失敗も犯したとはいえ、アラステアを1度に焼いた弾は2発が精々だったのだ。
 両腕、そして両のももからも紅い血が虚空に弧を描く。砂色の髪の男は手を離れた銃と自分の身体に、少なくとも5発の弾が相手から放たれたことを知った。だが昂る感覚の中、激痛と共に感じたのは近づいた死への恐怖ではない。底知れぬ憤怒と屈辱、その2つが薄れゆく意識の中で最後まで叫んでいる――5発目の弾で弾き飛ばされた長い得物から彼もまた、一瞬の間に4発の銃弾を放っていたのだから。

「何で頭を吹っ飛ばしちまわなかったんだ、馬鹿野郎が」

 未だ火薬の臭いが立ち込め馬が騒ぐ厩舎の前では、ゴードンが感情を無理に押し殺した声で悪態を吐く。彼とて敵が敗れたことを喜んでいないはずなどないが、誰とも知れぬ流れ者の前でそれをあからさまにはしない。

「若い女の目の前でそうするほど俺も悪趣味じゃないさ。その代わり奴は丸腰だ、早いところ全員そこの納屋へでも叩き込んでおいてくれ」

 勝者は銃弾が貫通したストローハットを傍へ放り、額に浮かんだ汗をジャケットの袖口で手早く拭った。急ぎ母屋へ駆けていく牧童頭の背中を眺めつつ、心臓の鼓動を宥めるように空の薬莢を捨てていく。1つ、2つと軽い音を立て小さな金属片が落ち、4つ、5つ――そして6つ目がレオンの手から離れた。両の手足に1発ずつ、そして長銃とベルトに下げられていたナイフに撃った分だ。

“危ねえ……まさかあいつもライフル使いで早撃ちだったとはな”

 彼は戦いに勝ち残り、今もこうしてここに立っている。しかし予備の弾を込め直す男の胸中をよぎったのは、自身の技量が相手に劣っていたことへの悔しさだった。
 ほんの一瞬の間に複数の弾丸を銃から放つ、早撃ちと呼ばれるこの種の技はそう珍しいものではない。だが1発の銃声に弾4発が限度と言われる中、レオンは弾倉を丸ごと空にしてしまえる力量がある。それとて元は単なる興味が高じた結果の早撃ちだが、遊びの1つに過ぎない技をここまで洗練させたことに、本人の才能が全く関係ないとは言えないだろう。そして弾丸の終着点を操れる域に達した時、彼は人並み外れた射撃の腕前を持つ男となった。長い時間をかけて磨き上げた技術は旅の助けとなり、結果的に何度も命の危機を切り抜けるに至っている。
 レオンはその技を滅多に人前で見せることなどしないし、武勇伝のように声を大にして酒場で語ることもない。彼は力を誇示して悪事を働きたかったわけではなく、自らの身に降りかかる火の粉を払うために銃を手にした。悪意を以ってレオンを害そうと行く手を遮る者だけが、神業にも等しいその技量を自身の目の当たりにできる。しかし命からがら逃げ出してそれを他の者に話しても、荒唐無稽な作り話だと鼻で笑われるだけだろう。それほどレオン・ブラッドリーという男の腕は桁違いで、すぐには信じられないような力をその身に秘めているのだ。
 だが女子供でも簡単に扱える拳銃とは違い、長銃は撃つだけでも相当な反動が使い手を襲う。それをここまでの速さで連射できる者が存在するなど、レオンはこれまでの人生で想像したことさえもなかった。同じ技を使うとはいえ、その難易度は精度を加味すれば相手の方が遥か上だ。人に引き金を引いた数こそ比べ物にならないだろうが、それだけで誰もがあんな荒技を使いこなせるはずもない。
 アラステアは間違いなく2人といない銃の使い手であり、今となってはあの自信も決して自惚れではないとわかる。向こうからは相手の位置がはっきりとわからない状況でも、数発の弾と何度か上げた声だけが頼りでありながら、ここまで正確に狙いを定めることなどとても不可能だ。なぜなら2発の弾を受けた厩舎の板壁には穴が空き、1発はレオンの帽子の山を正面から貫いている。もし彼がそれを少し浮かして被る癖がなかったとしたら、今頃は頭を粉々に砕かれて事切れていただろう。そしてちょうどその目の高さ、顔から指1本分ほどしか離れていない木の扉に、4発目の弾丸が燻った煙を微かに上げていた。
 今回勝つことができたのは運がレオンに味方したからだ。さりとて技を知られた今、もしもう1度撃ち合えば次に負けるのはこちらかもしれない。そんな自覚があるからこそ、実質的な敗北は彼の心に重くわだかまるのだ。

「ファニングショットだ……信じられねえ、あいつ……あのバロウズをついにやっちまった……!」

 母屋の扉の陰ではテッドが我を忘れてそう呟く。ファニングショットは短銃で早撃ちをする手法の1つだが、命中率よりも連射の速度に極度に特化したそれを、ここまで巧みに使いこなす者などこれまで見たこともない。レオンが身につけている銃をちらりとその目にした限りでは、多少古い型でこそあれ特別なものでもなかったはずだ。だからこそこの結果は各々の武器の性能の差ではなく、流れ者の技術の高さ故であることははっきりしていた。
 メイフィールド牧場に最後まで留まった彼ら3人は、どんな恥辱にまみれてもシャンティを護り抜くと誓っており、すなわち臆病者の汚名を着ても生き残らねばならない。それ故に無闇に撃ちかかり犬死には許されないとはいえ、アラステアは向き合った相手を畏怖させる何かを持っていた。こちらが照準をその額の中央に合わせて構えても、銃口の先の男は不敵な笑みを絶やしはしないだろう。アラステアは弾が自分を逸れていくことを信じきっていて、よしんば負けるかもしれないなどと疑いを抱くこともない。その絶対的な自信は本人の実力に裏打ちされ、それを証明するだけの死体の山を築いてきたからこそ、彼に相対する者はあたかも死神を前にしたように、身体の芯から震えを催す恐怖を感じてしまうのだ。
 背中に向かって銃を撃てるほど優位な状況にあっても、相手がアラステアの場合だけはどうしてか勝てる気がしない。その男に銃を向ければむしろこちらの命が危ないと、自分の中の何かがそう強烈な警告をがなりたてる。それはある種の呪いじみた暗示の類なのかもしれないが、そんなものは気のせいだと侮った者たちはいずれも死んだ。アラステアを倒せる者などもはや誰もいないのではないか、彼を少しでも知っていればそう考えても不思議ではない。正義は必ず勝つという建前は現実には程遠く、欲望を満たすための手段を選ばぬ悪はのさばっている。
 それだけにその死神が撃ち合いの末に敗北したことは、数年に渡りそれを悲願としていたカウボーイたちにさえ、俄かには信じ難い白昼夢のようにも思えるのだった。