水と食料を蓄えた一行は更に南へと向かう。土壁の町から薄っすらと続く轍の跡が導くは、この一帯の中心地とも言えるアレンカードという街だ。そこは交通の要を担うため整備された宿場町で、もし街道沿いを来ていたとしてもいずれ訪れていただろう。夏も盛りを迎えようという気候では牛たちも疲弊し、肝心の体重の方も減りこそすれ増やすのは難しい。風土病などに罹るリスクが高まっていることも思えば、どんなに先を急ぐ旅でも時には一休みも必要だ。きちんとした物資が手に入るアレンカードのような場所なら、数日間を休養に充てるにはまさにもってこいと言える。

「すげえ……世の中にはこんなにでかい街なんてのがあるんだな」

 しばらく続いた平地に突如として現れる小高い丘、そこに品良く立ち並ぶのは石造りの瀟洒な建物だ。遠くに街の姿が見え始めただけでクライヴは驚き、シャンティもまた初めて見る栄えた街並みに圧倒される。いつしか西や東の方角からも白い幌が目に入り、牛や羊の群れを連れている一団もまた珍しくない。そのどれもが一様に先に見えているアレンカードを目指し、またそこから旅立って行くと思えば感銘も受けるだろう。それは田舎暮らしが長かった者には鮮烈な光景で、大きな街への期待と不安を抱かずにはいられなかった。
 一際高い尖塔を擁した教会は街のシンボルで、この辺りでは貴重な緑の木々が白壁を引き立たせる。何週間も土と埃まみれの日々を送ってきた身には、目に映るそれらはまるで夢や幻のように見えるものだ。鳶色の眸をした娘の心は早くも浮き立ったが、同時にそこへ足を踏み入れることへの恐れも感じていた。果たしてこんな街で人の目に自分はどう映るのだろうか。妙な失敗をやらかして笑い者になったりするだろうか……?
 しかし前方に広がる煌めく街並みはもう大きくなり、たくさんの人々で賑わっている様子さえ具に見える。

「こんな街で迷ったら無事に戻ってこられるかわかんねえぞ。なるべく宿はわかりやすい場所にしようぜ、いいよな? シャンティ」

 兄貴分の珍しく気弱な物言いに賛同するうちに、一行はついにアレンカードの丘の麓へと到着した。あれよあれよと言う間に係の者が5人の前へ現れ、彼らは慣れた口調で街に入るための説明を始める。曰く、丘の上へはもちろん牛や馬を連れては行けない。その代わり麓には柵で囲われた牧草地が整備され、家畜はここで対価を支払い世話人たちに預けるのだと。
 高級な宿の宿泊者であれば専用のランチもあるが、生憎メイフィールド牧場の一行はそちらに縁がない。だが街が運営する共用の草地なら利用費も安く、識別に必要な焼き印や足輪をつけていれば使える。シャンティたちの手持ちでは元々選ぶ余地もそうなかったが、利用条件を満たしていたため後者に預けることとした。

「なあ……あんたの馬はずいぶんと気が立ってるが大丈夫か?」

 さりとて慣れない足輪をつけたマースローは酷く不機嫌で、近づく世話人たちをも蹴飛ばしかねない不穏な雰囲気だ。もし問題を起こせば共用のランチの使用は断られ、より高額な別の場所へ移動を余儀なくされるかもしれない。テッドはそれを危惧しているのか不安げにレオンに問いかける。

「心配ないとまでは言えん、あいつは元々鞍を背負しょうのさえ嫌がって暴れた奴でね。だがまあ運が良ければ今夜は馬房に移してやれるだろう……お姫さん、あんたの馬もな」
「えっ?」

 個別の厩舎はどれも手の届かぬ高値の宿の持ち物だ。もちろん彼が独りで良い宿に泊まろうと文句などないが、ミルキーウェイも馬房に入れるとはどういう意味なのだろう?
 シャンティが隣で小首を傾げているのを知ってか知らずか、レオンは鋭い目元を緩めると丘の上の街を仰ぐ。

「とりあえずは腹ごしらえだ。ここは果物が美味いから、お姫さんもたらふく食うといい」

 かつてこの街を訪れた用心棒の知識と経験は、人波に目を回さんばかりの4人にとって助けとなった。旅の途中で現金に換えるため持ってきていた品物も、それなりの高値で売れたが故に予想以上の余裕もある。しかし1等地に門を構える宿の値段にはほど遠く、その中にあるという評判のダンスホールも無縁なままだ。
 昼食を終えた後は2手に別れ宿を探すことになり、女牧場主はクライヴとレオンの後につき店を出た。だが黒髪の男は着いてくるよう手短に告げた後は、どんな客引きが声をかけてこようとその足を止めはしない。彼はあらゆる宿の前を一瞥すらしないまま通り過ぎ、目星なら既についていると言わんばかりの足取りで急ぐ。時折思い出したように後ろを振り向いてはくれるものの、シャンティは理由もわからないまま小走りでその後を追った。

「おいブラッドリー、あんたはどこへ――」
「出場したいんだが間に合うか?」

 どこをどう歩いてきたのかすらすっかりわからなくなった頃。痺れを切らしたクライヴが行き先を問い質そうとした時、レオンはとある建物の窓口の前で突然そう聞いた。中にいた青年はその更に奥の者へ何か尋ねると、もう1度こちらへ向き直った後で紙を取り出し頷く。

「本当は受け付けの〆切時間を少し過ぎてますけどね。目安にちょうど1人足りなかったんで駆け込みでもいいですよ」
「そいつは結構、話が早い。盛り上げてやるから見ててくれよ」

 そして年長者がサインを終え幾許かの金を払う頃、若者たちはようやくそこが小さな競技場だと気づいた。レンガ造りの美しい壁は確かに見事なものだったが、さすがにここを数日の間寝床にできるとは思わない。

「あの、ミスター・ブラッドリー? ここは宿では――」
「説明は後だ」
「!」

 用心棒は困惑した娘の華奢な左腕を掴み、観客席に繋がる階段へ彼女を引っ張り上げていく。暗い段差の後で降り注いだ太陽の光は眩しく、シャンティは思わず顔の前に空いている右手をかざしたが、何が行われているのかは目よりも耳で知ることができた。

「いいぞ、バート! まだ落ちるなよ!」
「あと3秒だ!」
「いける! がんばれー!」

 荒々しい馬の嘶き、老若男女を問わぬ歓声。鳶色の眸に映ったものは狂ったように跳ねる馬と、振り落とされまいと必死にしがみつく乗り手の男の姿。

「……ロデオ……?」

 何とかそう口にしたシャンティをレオンは空席に押し込み、隣に兄貴分を座らせたところでようやく意図を告げた。

「こいつで優勝すればアレンカードの宿は選び放題だ。これがこの街のいいところでね」
「そりゃあ確かにすげえけどよ、優勝なんてそんな簡単に――」
「だがまずは出なきゃ始まらんだろう?」

 牧童に答える男の黒い目は楽しげな光を帯び、間近でその輝きに当てられた娘はそっと口を噤む。何を言ったところでレオンは出場を止める気などないのだ。そして恐らくこの手の催しも初めてというわけではない……。

「……自信がおありなんですね」

 ふとシャンティの唇から零れたのはそんな一言だった。しかしそれだけの腕が彼にあると娘は既に知っている。

「勝負は時の運だ、どうなるかまではさすがに俺もわからん。それでもあんたが信じれば、馬房が手に入るかもしれんよ」
「!」

 そこで彼女は麓で耳にした言葉の真意を理解した。“運が良ければ”と彼は言ったが、勝負の結果は実力で引き寄せることもきっとできるだろう。

「そういうわけだ、お姫さん。あんたはここで祈っていてくれよ……俺より凄腕の奴が今この街の中にいないことをな」

 ぎゅっと強く手を握られてレオンから告げられたその言葉に、シャンティは深く頷いて彼への信頼と返事に代えた。