アレンカードの街は古くから馬を扱う者を尊び、その腕を競う伝統がロデオ大会となり続いている。夏の間は大小様々な競技が催されるものの、この日のそれが最も難度が高く賞金も高額だと、シャンティが人伝てに聞いたのはもっと後になってからだった。“運が良ければ”という言葉は単に勝負の結果だけでなく、参加が叶う日に行われた大会も指していたのだろう。
待ち合わせの場所で事の次第を聞いたテッドは目を丸くし、ゴードンは機嫌の悪そうな顔をしながらぼそりと呟く。
「フン……若造にしては少しばかり気を利かせたんじゃねえか」
娘は礼も言わない牧童頭に慌てて抗議したが、用心棒はこれ以上ない賛辞に対してそうするように、目深に被った帽子を上げると4人に向かってこう告げた。
「さて、どうやら宿の方じゃ部屋の用意が終わったようだぜ。たまにはのんびり羽根を休めてゆっくり滞在するとしよう」
大聖堂にもほど近い静かな広場の角のその宿は、各々の客室に違った趣向を凝らすので知られている。シャンティ自身の稼ぎなら生涯くぐれない門の中には、外の荒野が幻のようにあらゆる花々が咲き乱れ、歴史を感じさせる建物が落ち着いた色を与えていた。部屋まで案内してくれた従業員たちは皆丁寧で、一目でわかる田舎者相手にも馬鹿にする素振りなどない。
娘が通されたのは南向きの窓も明るい客室で、大きすぎるベッドには小花模様の天蓋までついていた。それだけでもシャンティは驚きのあまり言葉を失ったが、宿の者に促されて部屋の奥にある戸を開けた彼女は、そこにあったものを目に映して更に驚愕することになる。
「こちらは唯一個別にバスルームのあるお部屋でございます。ミスター・ブラッドリーよりミス・メイフィールドへぜひと伝言が」
猫の足がついたバスタブなど使うのはもちろん初めてだ。趣味の良い調度品や掛けられた絵画の質を抜きにしても、これだけでここが宿の中で1番高価な部屋だとわかる。
あの数分間でレオンが一体いくら賞金を得たのか、詳しい額を彼女は知らないし聞いてみようとも思わない。だがこの宿からぜひ彼に泊まってくれと申し出たとしても、こんなもてなしは同行者に過ぎない身には分不相応だ。何かあれば呼んでくれと言い残して従業員は去ったが、シャンティはそれさえもろくに耳に入っていなかったのだろう――ふいに部屋の扉を叩かれたノックの音に驚くあまり、持っていた鍵を床の上に落としてしまったほどなのだから。
「ようお姫さん、部屋はどうだ?」
「!」
戸を開けばそこにいたのは街中に名の知れた優勝者で、彼に恋をしている娘の胸はどきんと大きく高鳴る。
「ミスター・ブラッドリー……私、こんなところに泊めていただくわけにはいかないのでは」
「気に食わんことでもあるのか?」
「いいえ! ……っそんな、まさか」
しかし黒い眸は戸惑うシャンティの姿を見つめ続け、楽しげなまなざしから逃れる術を彼女は未だ持たない。
「この宿は前から知ってるが、今の時期は割と空いてるんだ。どうせずっといるわけじゃない。せっかくなんだ、好きに使いな」
それは単なる知識ではなく経験に基づく言葉だった。行く先々でこんな風に賞金を稼いではまた旅立つ、レオンの本来の生き方はそれとそう遠くなかったはずだ。独り気ままに放浪を続ける日々を送っているとしても、恐らく彼はシャンティが初めに想像したよりも遥かに、裕福かつ金には困ることのない人物だったのだろう。
どんな金持ちであったとしても情けに縋るつもりはないが、もし推測が当たっているなら旅の終わりに払う金など、レオンにとっては大した価値を持たないものなのかもしれない。だとすれば彼をこのまま用心棒として雇っていいのか、雇い主たる娘はそれすらもよくわからなくなってしまう。レオンの数ヶ月は牛を追い小娘を監督するだけの、実質的な奉仕活動に等しいかもしれないのだから。
雇われるにあたっての条件を提示したのは彼自身で、シャンティはただそれを受け入れただけと言えるのかもしれないが、報酬はかけた苦労に見合う価値のあるものであってほしい。それが契約通りの金銭だと言うのならそれでもいいが、他に望むものがあるならば謝礼の形はいくらでもある。
レオンはこちらから尋ねても滅多に要望を口にしない。何も持たない生活に慣れているということもあるのだろう。それでももし彼が何かを求める日がいつか来るとするなら、娘はできる限りの手助けをしたいものだと願っていた。そしてその機会は思っていたよりもだいぶ早く訪れる――。
「ところで俺が少し付き合ってくれと言ったのを覚えてるか?」
「えっ? は、はい」
「じゃあ今から俺と来てくれんか。あんたはダンスが得意だと男連中が言ってたもんでね」
突然の話についていけない彼女が言葉を飲み込むと、レオンは窓辺を染め始めた夕陽をちらりと見やって言った。
「優勝するといろいろと面倒な誘いも少なくなくてな、早速だが俺は今夜のダンスホールに呼ばれちまったのさ。ただし行くなら相手を連れていかんと格好がつかんだろう? そこでお姫さんの出番だ」
黒い目が再びこちらを向いてシャンティを真っ直ぐ捉える。その後に続くであろう言葉は彼女にもわかっていたのに、それでも相手の口から直接伝えてほしくてたまらない。呼吸の1つ、瞬きの1つがもどかしく感じた後で、待ち望んでいた彼の一言がついに娘の耳に届く。
「あんたに相方を頼みたい。もちろん嫌でなければだけどな」
シャンティは今や自分の鼓動が大聖堂の鐘を凌ぎ、アレンカードの街中に大きな音で響いている気がした。レオンの頼みを断ることなど元よりできるはずもないが、それがこんなにも嬉しい喜びに満ちていていいのだろうか? 彼は誰でも選べるはずだ。現に今まではそうしてパートナーを見つけてきたのだろうし、声をかけられて断る女がいたとは決して思えない。
だが今この時レオンが手を差し伸べた相手は彼女だった。その晩の幸運は彼に焦がれる娘へと舞い降りたのだ。
「……はい、もちろんです!」
彼女がそう返事をしてからの男の行動は早かった。善は急げと言わんばかりに連れて来られた貸衣装屋には、高級そうな燕尾服やドレスが何着も飾られていて、シャンティがまごつく間にも店員が次々服を充てる。レオン自身は黒の上下にシャツとカフスを選ぶ程度だが、娘は奥の部屋で着せ替え人形のようにされるがままだ。シャンティは料金の話をする暇もないまま髪を結われ、化粧を施されてはいつもと違った姿へ変わっていく。
できることなら想い人の眸により美しく映りたい、それは恋をする娘なら誰もが1度は思うことだろう。厳しい旅を続ける女牧場主も例外ではない。こんな夜はもう2度と来ない、それがわかっているからこそせめて限られた時間の中では、他の誰にも負けないほど精一杯輝いていたいのだ。ほんの少しでも今までと違った印象を抱いてほしい、今夜だけでも自分のことを好ましいと思っていてほしい……そんな思いを止めることなどシャンティにはもうできそうにない。
そして彼女のささやかな願いなど全てわかっているように、従業員は腕によりをかけて最後の仕上げをしてくれる……。
「ミスター・ブラッドリー、長くお待たせしてしまいすみません」
「ああ、そっちの準備もできた――」
しかしレオンは最後まで言葉を続けることはできなかった。彼が呼びかけに応えて振り向いた先に佇んでいたのは、今夜この街で1番見目麗しい淑女だったのだから。