アレンカードからしばらくは町が点在する地域を抜ける。だがそのどれもが見知らぬ旅人をもてなしてはくれぬことは、手痛い教訓を得ないために肝に銘じねばならなかった。自分の身は自分で護る覚悟が常に問われるこの時代、発砲音などある意味ではありふれたものなのかもしれない。しかしそんな音を聞かずに済めばそれに越したことはないのは、百戦錬磨の腕を持つレオンのような男とて同じだ。

「……こりゃまた良く言えばずいぶんこざっぱりしてる町だな。なあ、どうするよ? シャンティ」

 クライヴは肩を竦めて隣に佇む娘に問いかける。荒野で遠くに銃声を聞いてから少し先のその町は、通りの両側にいくらかの店と家が並んでいるだけで、大都会の記憶もまだ新しいメイフィールド一行には、どうしても鄙びた印象を与えてしまうことは否めない。建物の中に気配はあっても人通りはないに等しく、風が巻き上げた砂埃が寂れた風情をかき立てていた。
 宿らしい宿も見当たらない上に陽はまだ傾いておらず、物資も食料も直近の町で補充したばかりとなれば、無理に足を止めるよりは先を急いだ方が懸命だろう。同行者たちが心身共に疲れ果てているならともかく、4人の男たちはまだ旅を続ける元気があるのだから。

「まだ時間も早いし、ここには立ち寄らなくても大丈夫そう――」
「お? そこの小さいのは男かと思ったが女なのか」

 しかしシャンティが言葉を終えるよりも早く割り込んだ声に、レオンはすぐさま背後で軋んだウエスタンドアを振り向いた。彼女をその背に庇うように立った男の広い肩越しに、娘の眸は酒瓶を手に下げた相手の姿を映す。

「男装の何とか、ってか。よく見りゃ綺麗な顔じゃねえか。同じ男じゃ飽きるだろう? 今日は俺の相手もしてくれよ」
「……!」

 旅立たなければ聞く機会などなかっただろうそんな言葉も、面と向かって言われてしまうのは自身が選んだ道故だ。さりとてシャンティは無用な争いを招く反論はしない。相手の卑猥な要求を受けることは決してあり得ないが、銃を構えて向かい合わねばならないのは彼女ではないのだ。愛する男を少しでも危険から遠ざけておけるのなら、シャンティは自分の自尊心が傷つけられても気にはしない。大切なものを護るために手離していいものは何なのか、それを彼女はしっかりとその胸に刻みつけているのだから。

「……さあ、行きましょう。ゴードンとテディも待っているし」
「お? つれない姉ちゃんだな。気の強い女に物の道理をわからせるのも悪かないが、俺は最初から大人しくて従順な方が好みなんでね」

 シャンティが元来た道へ踵を返して一歩を踏み出すと、男は行く手を邪魔するように手にした酒瓶を投げつける。数歩先の路上で粉々に割れた色硝子の破片から、立ち昇る強い酒の残り香はそれだけで酔いそうなほどだ。若い娘はそんな有様に我知らず顔を顰めながら、震えそうな自身を叱咤するために強くその手を握った。

「こんな田舎じゃあ若い女なんてもんは全然見なくてなあ。アレンカードならたくさんいるがその分どれも金がかかるし、男みてえな格好してても脱がしちまえば中は女だ。おまけに顔が普通より良けりゃあこっちには願ったりとくる」
「おいてめえ、黙って聞いてりゃ――」
「おっと若いの、熱くなるなよ」

 殴りかかりそうな青年をレオンの静かな声が遮る。相手は泥酔していても右手を銃から離すことはなく、舐めてかかればクライヴの方が返り討ちに遭っていただろう。シャンティもその兄貴分も、感情の振れ幅が大きいのは何よりの若さの証だ。一方の用心棒は長年培ってきた経験から、何事にも動じない生き方がもう身体に染み付いていて、我を忘れて飛びかかるような真似などついぞしたことがない。

“……そう、なかったんだぜ。お姫さん、あんたに逢うまでは”

 だが彼が自分自身にそんな言い訳を必要とするほど、ガンベルトの中の銃へ手を伸ばしたい衝動は強かった。彼女が戦いを好まない性質たちであるのは百も承知だが、レオンも想い人を卑しめられるままにする男ではない。シャンティが自ら侮辱に対して反論しないのであれば、彼女の名誉を守ることもまた用心棒の仕事だろう。

「は! かかってくりゃ1発こいつを食わせてやれたんだがな。腰抜け野郎共は女を置いたらこの町から出て行きな」
「そいつは聞けない相談だ。だが撃ち合いなら相手になるぜ」
「!」

 その言葉に驚いたのは相手よりも背後にいた娘だ。彼の左腕へ咄嗟にかけられたシャンティの指は震え、わざわざ言葉にせずとも雄弁に動揺を伝えてしまう。緊張に満ちた彼女の鼓動が伝わりそうな空気の中、薄汚い風体の男は喧嘩を買ったレオンを睨む。

「あん? 俺とやろうってのか」
「言われっ放しじゃ悪いんでな。暇潰し程度なら付き合うさ」
「……おう、上等だ。早速おっ始めるとしようぜ」

 町はしんと静まり返り、住民たちも壁越しに事の次第を伺っているだろう。相手は存外しっかりとした足取りで道を歩き始め、撃ち合いのしきたりに則った距離から3人を振り向いた。

「お姫さん、先に町の外で待ってろと言いたいところだが、どうやらあいつはそれを承知してくれそうな奴じゃないんでね。2人でそこに入ってるか?」

 用心棒はそう言うとシャンティとクライヴに酒場を示す。その口調は先ほどとは違い落ち着き払ったものだったが、娘は青褪めた顔で彼に一言告げずにはいられない……。

「ミスター・ブラッドリー……あなたはどうしてこんなことを」
「シャンティはこう言ってるがな、俺はあんたを止めやしないぜ」
「クライヴ!? ちょっと、何言って――」
「だがやると決めたからにはそう簡単に負けてもらっちゃ困る。まあそんなこたねえだろうが」

 隣で非難の目を向けている妹分など意に介さず、青年は顔を顰めるとレオンを待っている相手を見やる。

「俺が自分でぶちのめすより必ずすっきりさせてくれよな」
「ああ、お姫さんを頼むぜ」

 シャンティは勝手に納得している男2人に閉口し、腕を掴んで連れて行こうとするクライヴの手を跳ね除けると、自ら胸の高さにある扉を押し開けて中に入った。
 なぜ彼らは危険の只中へ飛び込んでいこうとするのだろう。彼女が必死にそこから引き離そうと努力をしたところで、結局は相手にその気がないことを思い知らされるだけだ。しかし何より許せないのは想い人の身を案じるあまり、こんな侮辱を受けても何も言い返さぬと決めておきながら、それでもレオンが立ち向かってくれることを確かに喜んだ、矛盾した感情に振り回されてばかりの自分自身だろう。

“でもあの人はこれまでそういう生き方をしてきた人でしょう? だから逃げられたあの時も、みんなと私を助けてくれた。そうだからこそ好きになった……”

 用心棒としてフォートヴィルまでの契約を交わした以上、彼を愛する娘の心に心配が尽きる気配はない――尤も、それもあと2ヶ月程度の期間だけの話だが。

「お……始まるぜ、シャンティ。恐けりゃ目と耳を塞いどけ」

 そう言った兄貴分を軽く睨みながら首を横に振ると、シャンティは腕に覚えがないわけではないのだろう酒飲みを、そして次にえんじのネッカチーフを首に巻いた男を見た。勝負は時の運とはレオン自身が口にしていたことだが、よしんば彼が敗れるなどとは夢にも思っていないにせよ、“その時”が今ここで絶対に訪れないとは言い切れない。

「……ミスター・ブラッドリー……!」

 我知らず呟いたその名前を開始の合図とするように、寂れた片田舎の町には1発の銃声がこだました。