それからの数日は季節外れの肌寒い天気が続き、誰もがどことなく口数の少ない道中を過ごしていた。ぎらつく太陽にもそれはそれで閉口してしまうものだが、ただでさえ閑散としている荒野を覆う灰色の空は、雨こそ降らないとはいえ何とも気の重いものに違いない。だが黒髪の男の心を曇らせるのは空のみならず、ここしばらくどこかぼんやりと遠くを眺める姿が増えた、浮かない顔にも見えるシャンティもその原因の1つだった。

“一体どうしちまったんだ? 何があったわけでもなかろうに”

 憂いを秘めた鳶色のまなざしは繊細にして美しく、彼女の境遇を思えば笑ってばかりもいられないにせよ、今のレオンはそれでもなおシャンティの笑顔を望んでしまう。弱いところを見せまいと気を張っている振る舞いからではなく、本当に安らげる時に浮かべる笑みをこの目で見てみたい。それを知りたければ少しでも早くフォートヴィルへと辿り着き、彼女の背負った重荷から解放してやらねばならないだろう。しかしそれは同時に身を護る契約の終わる時でもあり、想い人たるシャンティが彼の元から旅立つことを示す。

“旅の残りもあと2ヶ月……いや、1ヶ月半ってとこか”

 今までのところキャトルドライブは問題もなく進んでおり、秋に差しかかる前には全てが終わりを迎えているはずだ。何かを変えるにはあまりにも短い日々でしかないだろうが、そもそもメイフィールド牧場の門をくぐってからというもの、果たしてまともな時間の感覚があったのかは疑わしい。出逢ってからもたった数週間しか経っていないというのに、なぜこうも遥か昔から傍にいたような気がするのだろう? そんな風に馴染む相手など今まで1人としていなかった。近くにいることがこんなにも自然だと感じられる者など、探していた頃にさえめぐり逢えた試しなどないというのに、なぜそれがかくも歳の離れたうら若い娘なのだろうか。

“なあ……あんた俺のことを男としてどう思ってるんだ?”

 辺りに気を配りながらも、最後尾を行くレオンはつい彼女を見つめずにはいられない。

“もしも俺があんたのことを……好きだと打ち明けたらどうする?”

 そんな問いかけが導くものは無言の気まずい空気だけか、あるいは冗談として笑い飛ばされて終わるかのどちらかだ。よしんば返事があるとして、万一受け入れられたとしても、彼が望むものはほんのひと時散れば終わる火花ではない。レオンが欲しているのは永遠に続く星の光なのだ。どんなに暗い夜でも行くべき道を照らしてくれる輝き、それがあの夜シャンティの眸の中にあったという思いは、もはや気の迷いなどではなく確かなものへと変わりつつある。
 だが求め続けていたものが見つかったかもしれないとしても、彼は手を伸ばすどころか想いを告げることもできないままだ。その理由が彼女に拒まれたくないからだと気づいた時は、さすがのレオンも自身の弱気ぶりに愕然としたものだが、年齢も経験も上だからこそ未来が見え過ぎてしまう。勢いに任せて悩みを振り切るにはもはや老いているのに、それでいて望みを諦められるほどには達観していない。こんな状態は彼にとっても不本意なものでしかないのに、どれだけ歳を重ねていてもそこから抜け出す術も持たない。
 彼はこれまで自身が無力であると感じたことはなかった。しかしこの想いは現実で、時間と共に心はますますシャンティに惹きつけられていく。恋など何度もしてきたつもりでいたがそれも危ういものだ。これまでレオンがそうだと信じていた思いとはまるで違う、このどうしようもなく魂を揺さぶるような強い想いを、どう扱えばいいのか彼は未だ知らぬままでいるのだから。

「――お? ブラッドリーか」
「!」

 その晩、一行は小さな酒場のある町に宿を定めた。1杯の慰めを求めて店を訪れた用心棒は、眼鏡をかけた先客に促されるまま隣に腰かける。

「あんたとは前から2人きりで飲んでみてえと思ってたんだ。さ、乾杯といこうぜ」

 かちんと小さな音を立てて2つのグラス同士がぶつかり、レオンは臓腑を焼くような強い酒を一気に流し込んだ。テッドは目を丸くしながらも驚嘆を告げるのを忘れない。

「すげえな……それで明日も平気で1日馬に乗れるってか。もうあんたには敵わねえや」
「そうか? あんたたちのお姫さんの方が俺には驚きだな。酒は飲まずとも女だてらにここまでついて来られるんだぜ」
「はは、そいつはそうかもな」

 メイフィールド牧場の誇り高きカウボーイたち3人が、深窓の姫君のように護るのは馬上の牧場主だ。彼女のことをつい話題に出してしまった黒髪の男は、途端に脳裏に浮かぶ微笑みを同席者に気取られまいと、何とも言えぬ難しい顔で2杯目の酒を注文した。幸いにも酒場のランプが放つオレンジがかった光は、目元の赤みが酒に由来しないのをうまく隠してくれる。

「あんたほどの男ならいろんな女も見てきたんだろうがよ、お嬢もその中の誰にも引けを取らねえくらい美人だろう。サリーも……お嬢のお袋さんも綺麗なもんだったよ。まあ違った種類の美人でな、お嬢はどっちかと言わずとも親父のライアンに似てるんだが」

 西部を目指す幌馬車隊の娘たるサリー・オルブライトは、開拓者として荒野に住まうライアン・メイフィールドと出逢い、家族や仲間と別れて彼の妻となりその地に留まった。今のシャンティより若い頃には既に子供を産んでいたが、大したものも手に入らない暮らしに不平の1つも言わず、牧場を造るために努力を続ける夫や牧童たち、果ては一晩の宿を求めて訪れた旅の者たちをも、温かな笑顔と自慢の手料理でもてなしてくれたものだ。

「……もしかしてあんたお姫さんのお袋に惚れてたのか?」

 その言葉に相手が驚いて何かを問い返すより早く、我知らずそれを尋ねていたレオン自身が動揺していた。これまでの彼ならばきっと気づかぬままでいたに違いないが、サリーについて語るテッドがほんの一瞬見せたまなざしに、いつどこでかはわからないが不思議と覚えがある気がしたのだ。それをつい最近鏡の中で見たのは忘れてしまっても、“敬愛する牧場主の妻”に向ける目でないことはわかる。そしてもし今レオンが想い人について言及するならば、きっと同じまなざしをせずにはいられないだろうということも。

「だがそのお袋さんてのも――」
「ああ、買い出しに行ってた町で倒れた丸太が当たってな。打ち所が悪かったんだ。お嬢がまだ10歳になってそんなに経ってねえ時だったよ」

 彼は淡々と答えたが、口調とは裏腹に緑の双眸は悲しみで満ちている。いかなる時も人懐こい笑みを絶やさずに働くテッドの、そんな弱気な面を見たことなどこれまでは1度もなかった。もはやその前の問いの答えを求める必要もないだろう。彼はシャンティの亡き母へと恋心を抱いた過去があり、そして恐らくは今もまだ……。

「それでもあんたは残ったのかい。惚れた女がいなくなっても?」

 空に輝く無数の星からたった1つが消えたところで、この世の全てがたちどころに失われてしまうわけではない。さりとてその光だけを切望し続けていた者にとって、それは歩むべき人生のしるべを失うに等しいことだ。愛した女の夫には彼女に似た娘が残されたが、密かに想いを寄せるだけだった男が得られたものはない。そしてこのまま旅を続ければフォートヴィルに辿り着いた時、用心棒はテッドと同じ思いを味わうことになるだろう。愛する相手、シャンティと永遠とわの別れを迎えるその時に。