それから数日の間はさしたる障害もないまま進み、4人はこの地帯で名高い街ランスバックに到着した。アレンカードほどではないがここも街の規模としては大きく、多種多様な服装に身を包んだ人々が通りにあふれ、目抜き通りを鮮やかな黄色の駅馬車が走り抜けていく。香辛料の効いた料理の香りがあちらこちらに漂い、通りに立つ客引きたちはまるで競い合っているかのようだ。木製の壁には店々の名前が大きくペンキで描かれ、時間を問わずクラブやカジノに出入りする人波は絶えない。
 ランスバックは質の良い銀を算出していたことで知られ、今でも全盛期の華やかな姿を色濃く残している。銀細工を売る店には高価な宝飾品も多く並び、それらを求める婦人たちのドレスや帽子を扱う店や、またその金を狙う悪漢を撃退するための武器屋など、建ち並ぶ店の1つ1つを挙げていくとすれば切りがない。金が集う場所だけに賭け事を生業とする者も多く、お尋ね者たちがひと時身を隠すにも都合のいい場所だ。
 宿を探す道すがらも用心棒は警戒を怠らず、シャンティをさりげなく内側に庇いながら気を配っていた。世に悪人はアラステア1人しかいないというわけではなく、金や物を奪われることもまた立派な犯罪なのだから、彼女を護るためにレオンが注意する危険はたくさんある。それでもフォートヴィルまでは大きな街もこれで終わりが故に、まだ22のシャンティには気分転換させてやりたかった。
 仲睦まじく腕を組んで宝飾店から出てきた男女を、彼女の鳶色の眸は密かな羨望と共に見送る。もしも何も起こらなければ、シャンティもまたこのような生活を営んでいたのだろうか。彼とは出逢わぬ人生を、誰かと過ごしていたのだろうか。それを思うとレオンは胸に微かな痛みを覚えるものの、彼女は元々危険とは縁のない道を歩んでいたのだ。どこかで出逢った歳周りのいい男とお互い惹かれ合い、恋に落ち、結ばれて子を産み育てていく平和な人生――シャンティの両親も娘のためにそれを願っていただろう。

“そこに突然俺を入れてくれなんてのが間違いなのかもな”

 隣を行く恋人にちらりと目をやりながら男は思う。彼女の父ライアン、母サリーは愛娘の相手として、こうも歳の離れたロデオ乗りなど望みはしなかったはずだ。レオンは彼らの世界とは違う場所からふらりとやって来て、いずれ時が経てば去っていく存在なのだと思われている。世間一般の彼に対する認識はそんなところだろう。確かにそういう生き方をしてきた過去までは否定しないが、それも全て運命の相手に出逢ったあの日終わりを告げた。偶然が重なり合ってシャンティと想いを通わせた結果、レオンはついに彼女の隣にいることを許されたのだから。
 だからこそシャンティに捧げる愛情が真実なのであれば、せめてフォートヴィルまでは触れるのを待たなければならないだろう。彼は自分の欲望で恋人を悩ませたいわけではなく、ましてやそれが原因で遠ざけられたいとも思わなかった。彼女の人生にある日突然現れた異質な男を、たった3ヶ月で受け入れてほしいというのは過ぎた願いだ。どれほど欲しいと思っていようとシャンティもそれを望むまで、そんな素振りは見せずに耐えるのも誠意の証に違いない。2度と愚かな真似はすまいと誓って過ごしたこの数日は、その先を知るレオンにとって何とももどかしいものだったが、それがどれだけ続こうと彼女を失うより遥かにましだ。

「さて、そろそろ帰るか」
「お? もうこんな時間かよ」

 一夜を過ごす宿を定め、食堂で夕食を済ませた4人はそれぞれの部屋に向かう。用心棒の部屋はシャンティの向かい、廊下の突き当たりだ。テッドとクライヴが挨拶を終え手前の部屋の戸を閉めると、必然的にそこには秘密の恋人同士だけが佇む。だからと言ってキスを交わすことなど無論できはしないのだが。

「お休みなさい、ミスター……いえ、レオン。また明日」

 別れ際、部屋の前でそっと声を落として呼ばれる名。こちらを見つめる鳶色の眸には何かいつもとは違い、男の胸をざわめかせる熱っぽさがあるような気がしたが、レオンは淫らな思いを抱きそうな自分を戒めるべく、努めて普段と変わらぬ声音で彼女へと返事を返した。

「ああ、お前もゆっくり休めよ」

 彼が立ち入ることのできない樫の分厚い扉の向こうに、シャンティの姿が消えたのを見送ってレオンも部屋に入る。ランプの光に浮かび上がるのはサイドテーブルと椅子1つ、そして背の高い彼には少し窮屈そうなベッドだけだが、それなりに心地良く整えられているであろう部屋はしかし、疲労しているはずの男の眠気をすぐさま誘いはしない。帽子を取り、ジャケットを脱いだ彼は椅子を引くと腰かけ、空き瓶に汲み置かれた水を隣の小さなグラスに注ぐ。それでもどういうわけか口をつけて飲み干す気分にもなれず、レオンは机に肘を突いて拳に頭をもたせかけると、深く大きなため息を零しながら眉を寄せて目を閉じた。途端に頭の中には恋人の微笑みが浮かんでくるが、この想いを打ち消す手段などこの世の誰も知らないはずだ。

“……くそっ、いっそ独りでしちまうか?”

 こんな状態ではとてもまともに睡眠などとれそうにない。理性とは裏腹に身体はシャンティをこのベッドに横たえ、その肌を隠す布地を奪い去ってしまいたいと訴える。満天の星空めいて潤んだ眸が彼を見上げる時、栗色の髪の娘は男の名を囁いてくれるだろう。その甘い唇を燃えるような口づけでふさいでしまえば、耳に届くものは2人の身体を巡る熱い鼓動だけだ。繊細な指がそっとレオンの黒い髪を梳くのに誘われ、頭を下げた彼は愛しい女の肌をキスで確かめる。コルセットに押し込めておくには窮屈であろう豊かな胸、見事な曲線を描く腰周りを堪能し尽くした後、レオンはもはや待ちきれない自身の身体をシャンティに重ね――。

「――っ!?」

 そこでがくんと頬杖が崩れ、慌てて態勢を立て直す。はっと見開いた目に映るのは彼しかいない小さな部屋だ。

“ああ……寝ちまったのか”

 だがあまりに惜しい夢だった。あと数分、せめて数秒目が覚めるのが遅かったならば、フォートヴィルに着くまでは経験することの叶わぬ歓びを、幻の中の恋人を腕に抱きながら味わえただろう。まだ心なしか大きな脈を打つ胸を落ち着かせるように、レオンはグラスの中のぬるい水を一息に喉へと流す。

「……?」

 それを傾きかけた小さなテーブルの上へと戻した時、どこか違和感を覚えた彼は素早く辺りを目で探った。耳を澄ませば廊下と室内を隔てる扉の向こうから、ほんの微かだが確かにコツコツとその戸を叩く音がする。レオンが眠り込んでしまった時間はそう長くないはずだが、部屋に入った時間ですらそう早かったわけでもない以上、普通ならとうの昔に寝静まっているような時間帯だ。こんな奇妙なノックの仕方にはいくらか覚えがあるものの、どの記憶も喜んで思い出したくはないものばかりならば、当然ながら相手を丸腰で出迎えるわけにもいかない。
 彼はそっと立ち上がると音を立てずに戸板の前に立った。そして銃を胸に携え、その状態で素早くかつ静かに部屋の扉を開け放つ。

「!?」

 しかし銃口の先にいたのは夜盗や闇討ちなどではなく、他に思いつかなかった男は面食らわずにはいられない。なぜならそこに立っていたのは夢にも見ていた愛する女、自身の心を捧げたシャンティ・メイフィールドだったのだから。