恋人たちが再び愛を確かめ合ってから10日あまり、一行は昼夜確実にフォートヴィルへと近づいてきていた。アラステアが既に彼ら4人よりも先で待ち構えており、それを敢えて偽る必要も相手の側にはないとすれば、もはや背後を気にしながら恐る恐る進む必要もない。もちろん好戦的な先住民や餌に餓えた獣たち、牛泥棒や追い剥ぎの類にも注意を払ってはいたが、最も危険な相手の居場所に見当がついていることは、逆に捉えればそこまでの道の安全を保障してくれる。
 だが通り過ぎてきた村や集落での噂は酷いもので、片眼の長銃使いの一味を知らぬ者など誰もいない。彼らがフォートヴィルの手前をその根城と定めてからこちら、そこを通るあらゆる馬車はのべつ幕なしに襲われると言い、街は事実上閉鎖されていると嘆く者もいる始末だ。寂れた鉱山が金の発掘で名が知れたのは最近で、まだフォートヴィルへの道すらも完全に整備されてはいない。ほぼ三方を山に囲まれた要塞状の立地に加え、唯一外へと通じる荒野には悪党が陣取っている。籠城を余儀なくされる状態にあるだろう街の中では、ただでさえ足りていないと風の噂になっていた食料が、完全に枯渇してしまうのはもはや時間の問題だった。
 この半年で人口は爆発的に膨れ上がったものの、官憲の配置は未だ旧来のまま極めて手薄であり、さりとて自警団程度では真の悪人には歯が立たない。夜を待ってアラステアの一味に奇襲をかけてはみたものの、街へ戻ってきた者はいなかったという話が事実なら、恐怖に怯える住人たちの心情はいかばかりだろうか。
 アレンカードから先、同じようにフォートヴィルを目指す旅人たちは何度も見かけていたが、ここに来て幌馬車の乗り手の行動は2つに分かれている。1つはその先へ進むことを諦めて荷物を売り払い、状況が変わるのを待たずして故郷へ引き返していく者。そしてもう1つはそれでもいつか道が拓かれるのを願い、チャンスを信じて目的地の近辺に未だ留まる者だ。
 道半ばで夢を諦める前者の口から何度も聞いた、“金よりも命が大事”という言葉には無論賛同する。しかしメイフィールド牧場の問題を解決するためには、どうしてもまとまった額の金が必要なのも事実なのだ。それを叶えることができるのではないかという望みを賭けて、シャンティたちは長い時をかけてはるばるここまでやって来た。戻る場所のない一行は進む以外の選択肢などなく、他の者より先んじて価格の高いうちに牛を売り抜け、自分たちの運命に自らけじめをつけなくてはならない。そのためにはやはり危険を承知で前進するしかなかった。

「お姫さんをここに残していく?」

 フォートヴィルの手前にある最後の町へと辿り着いたその日、テッドからそう告げられたレオンは思わず相手に問い返す。女牧場主は宿屋の部屋に荷物を置きに行っていて、眼鏡をかけた男はそれを見計らって口火を切ったのだ。

「ああ、クライヴと俺とでここんとこずっと考えてたんだ。人手が減るのは痛いがな、どうせバロウズがいるってわかってんなら連れてくこたねえだろ?」

 そんな可能性はアラステアも考えぬわけではないだろう。それでいて相手が腰を据えてこちらを待ち構えているのは、シャンティが逃げずに向かって来る女だとわかっているからだ。テッドとて彼女の性格くらいは知り尽くしているとしても、その身の安全を確保するのは至上の命題なのだろう。それはすぐ後ろで腕を組んでいる赤毛の男も同じで、クライヴが憮然とした面持ちながらも異論を唱えぬのは、思い悩んだ葛藤の結果なのだとレオンもわかっていた。

「ここから北に戻る奴らの馬車にお嬢を預けたっていい。あんな野郎相手なら保険はいくらあっても足りねえからな」
「だがそれであの強情っぱりのお姫さんは納得するのか?」

 シャンティは周りを危険に晒すことはしたがらないだろうが、その責任感は仲間想いであるのと同じほどに強い。何よりメイフィールド牧場は彼女の生まれた故郷であり、自分の手で決着をつけたい思いは人一倍のはずだ。

「だからこうして話してんだろ? ブラッドリー、あんたからシャンティに言い聞かせてやってくれよ。テッドは俺たちよりあんたの方が向いてるってうるせえんだ」
「クライヴ、まだ怒ってんのか? そう臍を曲げてくれるなよ。こういうややこしいことはな、ちょっと距離のある奴から言ってもらった方が効くってもんさ」

 苛立った様子の青年に同僚は平然と嘯くが、そこに秘められた真意を理解できる者はレオンしかいない。長い間家族同然に過ごしてきた牧童たちよりも、今やなお彼女に近い存在であると知っているからこそ、テッドはこの大役を敢えてその恋人に譲っているのだ。シャンティを説得できるとすれば恐らくレオンだけだという、実現の可能性が極めて低い一縷の望みも賭けて。

「……わかった。だがそれでもお姫さんが来ると言ったら俺は止めんがいいんだな?」

 用心棒の正直な内心をもし詳らかにするなら、自分の目の届かぬ場所に彼女を残していくつもりはない。だが危険を承知でそれを押し付けるのは傲慢でしかなく、シャンティが留まると決めたならそれを責めるつもりはなかった。テッドも元々彼女が引き下がるとは思っていないのだろう、肩を聳やかすとさも当然と言わんばかりにレオンに言い放つ。

「その時はあんたがお嬢をバロウズから護ってくれるんだろ?」

 それを聞いた黒髪の男は微かに口角を上げた後、神聖な誓いを交わす時のように1度深く頷いた。

「え……?」

 そしてシャンティが戻ってくるとカウボーイ2人は席を立ち、独りその場に残ったレオンは手短に主題を問いかける。この町に独り残り、あるいは北へ向かう者に加わり、全てが終わるまで安全な場所で待っているつもりはないか――想像した通り恋人は戸惑いの声を上げたが最後、視線を落として俯くと一言も言葉を発しなかった。驚かなかったのを見る限り思うところはあるのだろうし、彼がなぜそんなことを尋ねているのかも気づいているのだろう。
 万一の時に後悔しないで済む選択はどちらなのか、その答えを今すぐここで出せというのは無理にもほどがある。しかし決めかねていれば敵の方がやって来るのは確実で、悠長に悩んでいられるような余裕も残されてはいない。

「よし、なら質問を変える」

 レオンの低く張りのある声が重苦しい沈黙を破り、それを聞いて顔を上げた娘の眸は不安に揺れていた。その目を見た男の胸は息もできないほどに締め付けられ、今日を限りにもう2度と逢えなくなるかもしれないと思えば、言わずにいようと思っていた問いを投げかけずにはいられない。こんな状況では禁じ手としか言えないであろう言葉でも、黒髪の男の想いはいつもただ1つしかないのだから。

「シャンティ、お前は俺といたいか?」
「!」

 どんな時も必ず護る、その約束を信じてくれるなら最後まで共にいてほしい。あらゆる苦難からレオンを呼び戻す縁となり得るものは、この世にただ1人シャンティ・メイフィールドという存在だけだ。
 鳶色の目には瞬く間にあふれんばかりの涙が滲み、しばしの静けさは心臓の鼓動を痛いほど響かせたが、それでも彼女は恋人に自分が選んだ答えを返した。その首を縦に振ることで、シャンティは彼が心から望む願い事を叶えてくれる。

「……決まりだな。なら明日少し寝不足になるってことは勘弁してくれよ」

 柔らかい頬を伝う涙を拭いながら小さく笑うと、レオンは言葉の意味がわからず首を傾げる彼女に告げた。

「今夜は俺がお前の部屋に行く」