最初に目が合ったのはジェレミーだった。彼と一緒に踊っていたエミリアも、一瞬浮かべた驚愕の後にはすぐ祝福するような笑顔を見せてくれる。次に視界に映ったのはブライトン夫人で、ウィリアムの存在に気づいた直後にその隣にいる姪を見るや否や、老婦人は想像と寸分違わぬ顔で穴が空くほど2人を見ていた。彼は広間中の視線を受けて震えるほどに緊張しているアンヌを振り向くと、安心させるようにその手を引きながら笑顔を浮かべて優しく告げる。

「踊ろう、アンヌ」

 ある意味で注目されることに慣れてしまったウィリアムとは違い、彼女は感情を隠す術を持たないが故に動揺を素直に表してしまう。だがそれすらも愛しく感じるほどに惚れ込んだたった1人の恋人、彼女がそれでもその手を預けてくれる喜びは計り知れない。彼と噂になることは必ずしも褒め称えられるようなことではないのに、アンヌはウィリアムと一緒にいられる選択肢の方を選んでくれた。同じ想いをいっぱいにあふれさせながら、彼の想いを受け入れてくれた。そんな彼女をどんなことからも護りたいのは当然だ。
 ダンスを舞う人々に混じった彼は戸惑ったままのアンヌの視線を上げさせ、何も心配はいらないとばかりに彼女を引き寄せ微笑んだ。この手を離さずにいられるのなら、もう1度その声で想いを聞かせてくれるのなら、ウィリアムはもう何も恐くはない。

「バルトーズ家で君と踊った時、そのまま時間が止まればいいと思ったんだ」

 しっかりと繋がれた左手に力を込めて告げる言葉は真剣で、カラメル色の眸は色を深めてほのかに上気した頬を彩る。

「君といたかった。何ヶ月も見つめていながら、君の手に触れることができるのはあのダンスの間だけだとわかっていたから――でもこれからは違う。そうだろう、アンヌ?」

 こんなにも好きなのに、好きでいてくれているというのに、人目を憚る意味などない。狂おしい恋に落ちたことがある者なら誰でもこの気持ちを理解できるはずだ。夢にまで見た愛しい相手の傍にいられる貴重な時に、他のことにまで注意を払う余裕のある者など存在するのだろうか? 身体はステップを刻んでいても、音楽も、周りの声も、2人にはもう何も聞こえない。耳に届くのはただ愛する相手が自分に語りかけてくれる言葉、そしてそれを紡ぎ出す何より心地いい声だけだ。

「……はい!」

 輝くような笑顔と共に返されるはっきりとした肯定の返事。ウィリアムの胸の奥で喜びが弾け、それは瞬く間に全身へと広がっていく。抱きしめたい、彼女に選ばれたのは自分なのだと世界中に見せつけたい。だがこんなにも可愛らしい表情は誰にも見せずに秘密にしておきたいとも思ってしまう。自分だけが知っているアンヌとの思い出を、いくつも、いつまでも積み重ねていきたい。口づける時に彼女の睫毛がどんな風にその頬に影を落とすのか、薔薇のように色づいたその唇がどんなに柔らかく温かい感触を伝えてくれるのか、その言葉がどんなに深い幸福をもたらしてくれるのか――これから先もそれを知るのはウィリアムただ1人だけでいい。

「ウィル、いきなり美しい女性を連れて現れるとは君も隅に置けないな」

 きっと同じ想いを経験しただろうジェレミーは、彼にとっての唯一無二であるエミリアと2人で声をかける。

「だが今日の主役はエミリアと私だぞ。我々より目立つのはやめてくれないか」
「それは失礼した。だが別にそうしようと思ってしているわけじゃないんだがね。周りが勝手に注目しているだけさ、何せ――」

 そこで誇らしげにアンヌの肩を抱いたウィリアムは満面の笑みをたたえて続けた。

「私の恋人はこんなにも可愛らしいのだからそれも仕方のないことだ」

 周囲はパートナーを変える間もウィリアムとアンヌに密かな視線を送っていたが、その言葉が聞こえた者は決定的な証拠を得て俄かに顔を見合わせる。そこで声高にこの情報を叫び出すような者がいないのはひとえにジェレミーとエミリアの友人たちが皆自制心を持ち合わせたいい大人ばかりだったということに他ならないが、どんなに押し留めようと努力をしたところで人の口に戸は立てられない。早ければ今夜中、遅くとも明日には王都に2人の関係が広まり、誰もがルウェリン伯爵とそのうら若い恋人に好奇と羨望のまなざしを投げかけるだろう。

「おめでとう、ウィル。玉砕したなら付き合うために用意した酒もあったんだが、カッシング子爵令嬢も同じ想いでいてくれたのならいい年代物を別の機会に奢るよ」
「アンヌ、あなた今とても幸せそうね。ウィリアムとならきっとこれからも楽しく過ごすことができるわよ。ふふ……あなたのことを想っている人は意外と近くにいたでしょう?」

 ハイラント夫妻は嬉しそうにそう言うと広間の中央へと戻っていく。どんなに喜ばしい出来事があったとしてもそこは主役の2人の場所であり、ウィリアムはその場を奪うような無粋で傲慢な真似はしない。彼はアンヌが微かに目元を潤ませながら祝福を反芻しているのを確かめた後、広間の反対側で青褪めながらこちらを見ているブライトン夫人に視線を送る。怒鳴りこんでくるような気性の荒さとはほど遠い老婦人にせよ、きっと何かの間違いだろうと儚い期待を抱く彼女の願いは叶わない。口に出さずとも恋人たちの想いを知らしめる2曲目はすぐにでも始まろうとしている……。

「ウィリアムさま」
「うん?」

 先ほどよりも近くに身を寄せて踊る音楽が奏でられ、ウィリアムは甘い林檎のようなアンヌの香りにうっとりと甘い返事を返す。

「あなたにこうして想いを打ち明ける日を何度も心の中で思い描いてきました。行く先々でお見かけしたウィリアムさまは目を奪われずにはいられないほどに素敵で、私のことなんて相手にしてはくださらないとわかっていましたが、それでも……」

 軽やかなダンスに乗って明かされる彼女の想いに鼓動が早まる。その先の続きを待ち望むウィリアムを恥ずかしそうに見つめながら、アンヌは淡く色づいた唇でそっと彼への言葉を囁いた。

「ずっとあなたが好きでした。せめて夢の中では逢えるようにと毎晩願わずにはいられなかったほど、あなたをお慕いしています」

 はにかんだような微笑みはこれが彼女にとって初めての恋であることを示す。語られた想いの丈は美しく、こんなにも胸を打つ告白をされたことなどなかった彼はしばし言葉を返せなかったが、アンヌがくれた信じられないほどの幸福に導かれるがまま口を開くことは決して難しくはなかった。

「ありがとう……君も私と同じ想いでいてくれたなんて、どう言えばこの感動が伝えられるのかわからないくらいだよ。アンヌ、君は誰よりも私を幸せにしてくれる……そんな人は君だけだ」

 近しい人々が運命に導かれ幸せな家庭を築いていく中、それを羨ましく思う気持ちがなかったなどと強がり嘯くつもりはない。だがまなざし1つでウィリアムの全てを如何様にも変えてしまうことができる、そんな相手とめぐり逢う日が来ることなどもはや夢物語だと思い始めていたのだ。それがアンヌと出逢ってからというもの、彼の世界は文字通り一変した。ほんの些細なことの中にも至福の喜びは宿っているということ、それを教えてくれた最愛の女性は今この腕の中にいる。
 語り尽くすことなどできない想いを心で伝え合うように、その晩2人は相手を変えることなく音楽の続く限り踊り続けた。