緑も疎らな荒野で草を食んでいる1000頭ほどの牛。その中に見える人影はたった5人、しかも1人は幌馬車の御者台に腰を据えている。それでも牛たちは皆同じ方角に向けて蹄を鳴らし、時折違う方向へ曲がりそうなものが散見されても、カウボーイが低く高く声をかければすぐ群れの中へ消え、長く連なった一団の形までもが乱れることはない。
 普通の牧童よりも遥かに優れた腕が一目でわかる、この集団は南を目指して牛追いの旅に出たばかりだ。さりとてその目的地、破格の値段で牛が売買されるフォートヴィルへと辿り着くまでは、悪天候や風土病のみならず飢えた獣や追い剥ぎにも常に注意せねばならなかった。
 百戦錬磨のカウボーイすら完遂が危ういこの旅に、女が介入する余地などそれこそ小指ほどもないだろう。しかし敢えて危険な長旅に臨んだ5人の中の1人、シャンティ・メイフィールドは土埃の上がる大地で馬を駆る。その向こうに霞んで見えるのは生成り色のストローハットで、黒い馬に乗った帽子の持ち主は彼女の用心棒だ。
 レオン・ブラッドリーと名乗った彼の素性は未だに知らない。ほんの数日前までは名前も顔も知らなかった相手に、仲間たちと自分の命を預けるのもある種の賭けだった。だがその男を信じた自分の目に些かの狂いもない、それだけはなぜかはっきりとシャンティの心が訴えている。牧場人なら彼を乗せている黒毛の馬を見ただけでも、信じるに値する相手だと見抜けるに違いないのだから。

「しかしこれだけの牛を追うのに男手3つに俺で4人、手の回らない数じゃないが――」
「おい、あんた1人忘れてるぜ」

 旅立つ前に生家で最後の食事をした時を思い出す。意外にもすんなりと同行者を受け入れた他の牧童は、そんな疑問を口にしたレオンに呆れ、あるいはどこか楽し気に彼の表情を伺った。

「……何だって?」
「俺たちはいつも朝から晩まで“4人”で牛の世話をしてる。ブラッドリー、つまりはあんたを入れたら5人にならねえか?」

 にんまりと笑いながら牧場の日常を語ったテッドに、シャンティを振り向いたレオンの目のなんと驚いていたことか。
 しかし今や馬上の者となった彼女の身体を包むのは、その夜まで彼が目にしていた古いエプロンドレスではなく、丈こそ詰めてあるとはいえど他の4人の服と変わりない。頭には目を詰めて巻かれたこげ茶の麦わら帽子を被り、同じ色のネッカチーフは馬が歩く度にたなびき揺れる。着心地のいいシャツの上には洗い晒しのジャケットを羽織り、履き込まれたジーンズの膝から下を覆う黒いブーツには、日々の作業で自然と刻まれた鐙の跡が残っていた。しなやかな皮のチャップスももちろん娘自身が使い込み、時間をかけねば出せない光沢を放てるほどに柔らかい。
 本来ならばあの日とて牧場仕事をするはずだったのだ。だが突如現れたアラステアと一連の出来事によって、彼女はついぞ用心棒にこの姿を見せぬまま終わった。きっとレオンはシャンティが馬車から外を眺めている程度の存在だと考えていたのだろう。翌朝愛馬と共に現れた彼女を目にした時でさえ、黒い眸にはまだ幾許かの疑念が残っていたものだ。

「お嬢、そろそろ飯にするか?」

 秀でた額を西陽から隠すように帽子を被りながら、彼女の少し前を行くテッドが夕暮れ時に声をかける。シャンティは他の4人と群れ全体を小川へと誘導し、家畜が喉を潤すと今夜の宿営地をそこに定めた。男たちはそれぞれ手分けして牛や馬の手入れにかかるが、紅一点の娘はジャケットを脱ぎシャツの両腕を捲る。ここからは5人分の食事の支度が彼女の仕事であり、明日もまた旅を続けるためには栄養補給が欠かせない。
 こうして荒野を縦断する旅を始めてもう7日になる。今までのところは特にこれといって大きな問題もなく、故郷を離れたばかりとは言え行程は順調そのものだ。しかし次の町らしい町まではまだ5日ほどの距離があり、そこまで順風満帆に進んでいけるという保証はない。従って水や食料にある程度の備えを持っていても、不慮の事態を思えば節約に努めなければならなかった。
 だがこの頭数の牛を僅かな人手でまとめていく以上、毎日ほとんどの時間は必然的に馬の上で過ごす。あちらこちらに散らばろうとする若牛の後を追っていると、朝から晩まで他人と会話を交わさず終えることも多い。それだけに5人全員が顔を合わせる朝夕の食事は、ともすれば孤独な仕事になりがちな牛追いの旅において、単に飲食を済ませる以上の心が安らぐ時なのだ。
 シャンティは水に漬けておいた豆に調味料と野菜を混ぜ、薄く切った塩漬けの豚肉と共に焚き火の上にかける。白い湯気が立ちぐつぐつと鍋の中身が煮えてきたところで、次に彼女が馬車の荷台から下ろしたのは引き割り小麦だ。その粉と濃いめの塩水をよく捏ねて手早く生地を作り、それを掌ほどの円い形にいくつも整えていくと、炭火を乗せて予め熱しておいた蓋の上に並べた。
 ここまで準備が終わる頃には4人の男も作業を終え、彼らの胃袋を握る料理番の腕を堪能しに来る。昼間は馬に乗りながら片手で軽食が精々な中で、たっぷりの豆に肉、そして焼きたてのビスケットが食べられる夕食はもちろん重要だ。丸1日働くだけでも体力を消耗するのだから、いよいよ夏に移り変わり気温も上がり始めたこの季節、少しでも食べておかねば遅からず体調を崩しかねない。
 その点シャンティは長く台所を持ち場としていただけに、あり合わせの食材を使って飽きのこない味に仕上げる技術には太鼓判を押されている。それは一行の新参者であるレオンも例外ではなく、彼女のミートパイを一口食べた瞬間から認めていた。特に天候によって塩加減を変えて作るビスケットは、例え冷めた後に口にしてもこよなく美味と人気の品だ。

「ああ、腹いっぱい食った」

 ポークビーンズとビスケットに僅かばかりの糖蜜を添えて、ささやかだが満ち足りた食事を終えた5人は焚き火を囲む。長い夏の陽も落ち、頭上に輝くは数多の星々。炎が弾ける音だけが優しく初夏の夜に響いている。

「今夜の見張りはテッドと俺か」

 食後のコーヒーの芳ばしい香りが辺りに立ち込める中、ゴードンのその言葉にテッドは軽く頷くと立ち上がった。きび砂糖をたっぷりと入れた銀色のカップを空にすると、2人は勝手知ったるという様子で火の傍を離れていく――今夜の寝ずの番のために。

「くそっ、明日こそは俺も見張り番くらいやってやるからな!」

 クライヴは苛立たしげにそう呟いた後で頭を振ると、まだ熱いコーヒーを一気に流し込み食器を洗い出した。町の医者からは旅などとんでもないと止められはしたものの、そんな忠告に素直に従うような性格はしていない。彼は幌馬車の責任者にさせられて不満を持っていたが、大人しく怪我を治してこそ復帰が叶うことも知っている。自分を飛ばして組まれた当番に悪態を吐きこそすれど、褐色の眸は常に未来をじっと見据えているのだろう。薬局中の消毒薬を肩の傷に塗るために買い占め、したり顔で馬車に戻ってきたのもきっとそのためなのだから。
 全ての食器を洗い、翌朝の下準備まで済ませると、シャンティも緩やかな眠気に誘われ焚き火へと戻ってくる。明るい炎が夜の荒野に照らし出すのは男と女、凄腕の用心棒と彼の雇い主たる2人の影だ。遠くからは牛を眠りに誘う牧童たちの歌が聞こえ、包帯を巻き直したクライヴは早くも眠りに落ちていた。