それは法外な値段だった。あまりの数字に若いカウボーイは思わず言葉を失い、そんな彼を馬の上から黒い眸が憐れんで見下ろす。
「どうだ? 無理な話だろう。多少なりとも金があるなら大人しくお姫さんを預けな。死んだらそこで終わりなんだぜ」
シャンティを連れて行けば故人との約束は果たせるだろうが、娘に万一のことがあれば悲劇どころの話ではない。それを避けたい一心で頭を下げているとわかっていても、分不相応な旅路に挑む姿は哀しくも滑稽だ。
いつまでも現実味のない夢ばかり見て生きてはいられない。誰しも歳をとるにつれできないことが何かはわかってくる。それでも夢を追うのならば、そうするに足る力がなければ。
「遺言を守るのは立派だが、今生きてる奴を大事にしろ」
レオンはそう言って今度こそ2人に別れを告げようとした。だが――。
「払います」
「――っ!?」
我が耳を疑うその言葉。しかしそれを告げた声は今しがたの青年のものではない。荒野を渡る風にスカートをはためかせた1人の娘が、鳶色の眸を真っ直ぐに彼へと向けその場に立っている。そんなことを言いそうもない、誰より若い可憐な娘が。
「牛が本当に言い値で売れればその額くらいは余ります。他に条件がなければ交渉は成立でよろしいですか?」
「おい……っシャンティ、おい!」
我に返ったクライヴが掴みかからんばかりにそう叫ぶが、今度それを意に介さず一瞥もしないのは彼女の方だ。
「でしたら今から町へ出て店で必要なものを揃えましょう。できるなら今夜すぐにでも出発した方がいいでしょうから」
そう言うとシャンティは踵を返して母屋へ帰ってしまう。残された2人の男は呆然とその背を眺めていたが、扉の閉まる音がすると同時にお互い顔を見合わせた。
「来てくれるのか? あんた……」
どこか恐々と尋ねられ、レオンは1度目を閉じて天を仰ぐと観念して答える。
「ああ……どうやらお姫さんが俺の雇い主みたいだな」
その言葉にマースローは鼻を鳴らすと軽く地面を掻いた。
昼過ぎにメイフィールド一行は最寄りの町へと辿り着き、保安官の小さな詰め所には重荷な悪党を引き渡す。そして彼らはその足で道の向かいの登記所に立ち寄ると、抵当権が認められたと証明する証書を受け取った。町は大きくないとはいえ、それなりに店は賑わっている。5人は再び集まる時間を決めると一旦別れたが、それぞれの所用を済ませるくらいのことはすぐにできるはずだ。
“しかし見た目よりずいぶんと肝の据わった娘だったんだな”
銃器の店で弾のストックを買いながら男は考える。他人に雇われることなどいつ以来なのかはっきりしないが、これまでもそんな機会が1度もなかったというわけではない。さりとて自分の半分も生きていないような若い娘を、雇い主と仰ぐのは間違いなくこれが最初で最後だろう。
旅の終わりに払ってくれるという金に正直興味はない。それでも申し出を受けたのは同情を引かれたからではなく、シャンティのあの無謀なまでの度胸が琴線に触れたからだ。大の男さえ一瞬怯むような条件をすぐに受ける、その大胆さは普通に考えれば無知故かもしれないし、もっと深い意志を秘めて口に出されたものなのかもしれない。少なくとも彼女の真意がどちらなのかを見極めるまでは、この数奇な立ち位置に楽しみを見出すこともできるだろう。彼が久しく忘れていた、誰かと連れ立つ時間の中で。
「ミスター・ブラッドリー!」
「?」
店を出るや否や名を呼ばれたレオンはつとその顔を上げる。そこには香辛料の包みを抱えたシャンティが立っていて、古びたエプロンではないドレスはごく普通の娘のそれだ。この姿を見て牧場主だと思う者などいないだろう。
「荷物持ちも仕事のうちか? まだ見て回るんなら付き合うぜ」
「いえ、そうではなくて……少しこちらへ来ていただけますか」
彼女は辺りを見回すと男を路地の裏へと連れて行く。
「こんなところに何の用だ?」
当然ながらそんな態度を訝しまずにはいられぬ彼に、シャンティはそれなりに厚みのある封筒を差し出すと言った。
「どうぞ、受け取ってください」
「……おい、これは……!?」
促されるままそれを開いたレオンは驚き声を上げる――困窮している牧場の娘には工面できるはずのない、一目見ただけで多いとわかる紙幣が詰まっていたとなれば。
「契約の前払い金です。最初に何もお渡ししないのはこちらも申し訳ないので」
彼が問い質す前にシャンティは先手を取って口を開く。不法な手段でも用いたのかと聞きたそうな顔のレオンに、小さく首を振った娘は札の束の出所を明かした。
「母の指輪を売ったんです。父と結婚する時に贈られたものだと聞いていましたが、思ったよりも高い値で引き取ってもらえて安心しました」
「……!」
それがどんな意味を持つのかはさすがに彼にも想像がつく。ここまで落ちぶれてもまだ手元に残していた形見の品を、こうも簡単に放棄してしまえるほど愚かなのか、または――。
「そんなものを易々と懐に入れられると思ってるのか? 俺は――」
「いえ、これでいいんです。もし両親が生きていてもこうするように言ったはずですから」
シャンティの目に涙はなく、その声にも何ら翳りはない。あるのは確固たる覚悟と、自ら切り拓く未来だけだ。その静かな力強さに一瞬目を奪われた男へと、牧場の娘は穏やかな声で続く言葉を紡ぎ出す。
「ミスター・ブラッドリー、あの3人を護ってあげてください。ゴードンたちは私に残されたかけがえのない家族なんです」
目には見えない絆で結ばれたメイフィールド牧場の4人、それは改めて言葉にされずともレオンとて理解していた。だが血の繋がった者にさえここまで己が身を砕くことを、何の迷いもなく行える人間は決して多くはない。
「どうしてそこまでする? あんたにとってこの旅は何なんだ?」
表の茶屋で姦しくお喋りを楽しんでいる娘たち、それとそう歳も変わらぬ彼女はなぜこうも揺るぎないのだろう。重責に背を向けたまま他人に任せる者もたくさんいる。そうでないからといって不利益になるとも言い切れないならば、敢えて自らの人生を困難にすることもないだろうに。
「あの牧場には昔の幸せな思い出がたくさんあります。だからせめてできる限りのことをしてから手離したいんです。そうでなければ私たちは……新しく何かを始めることもきっとできないと思うので」
言い終える前に初めてシャンティの声がほんの僅か詰まる。しかし1呼吸置いた後、彼女は再び先を続けた。
「でもあなた自身に危険が及んだら構わず逃げてください。クライヴに仰った通り、死んでしまったら終わりですので」
男は憮然とした面持ちで娘の言葉を聞いていたが、なぜこんなことを言いだしたかという本心ならわかっている。いざという時に彼は運命を共にする相手ではないと、雇い主たるシャンティはレオンに対してそう告げているのだ。
「そう侮ってくれるな、俺にも雇われた矜持があるんだ。最後まで――フォートヴィルまであんたと親衛隊は護るさ」
ならばそんな選択を迫られる時など起こさなければいい。傍にいる以上は頼りになることを彼女に証明したい――シャンティというこの娘に。
「……ありがとうございます」
返された柔らかい微笑みはどこか困っているかのようで、彼女より倍も歳上の男は人知れず唇を噛む。そして差し出された金を契約の証に受け取った彼は、表通りまで来るとシャンティの横で足を止めこう言った。
「おっと、煙草を忘れちまった。お姫さんは先に行っててくれ」