「き、今日は来てくださって本当にありがとうございます。ゆ……夢みたいです。も、もう1度あなたに、お、お逢いできるなんて」

 大衆的な料理屋でレオンの前に座るプルーデンスは、生来の吃音に苦しみながらも感謝の言葉を告げる。憧れの人物と目が合う度に耳まで赤くする様は、端から見ても純情という形容詞にこよなく相応しい。

「ミスター・ブラッドリー、それからもちろんミス・メイフィールドも、今夜は時間の許す限りたくさん食べていってくださいね」

 妹の隣でそう言うクリスティンは彼自身の真向かい、すなわちレオンの横に腰かける娘の名を呼ぶ時にだけ、明らかにその青い目の輝きが違っているように見えた。兄妹揃って寄せる想いを隠すことなどできそうもない――尤も、彼らはそんな真似をする必要などないのだろうが。
 運ばれてくる大皿料理を次から次へ分け合ううちに、いつしかその場にはシャンティとクリスティン、またレオンとプルーデンスという組ができつつあった。兄がレオンと妹に、また妹がシャンティと兄に何か話しかけることはある。しかし椅子を並べて座っている流れ者と牧場主は、一見和やかに食事を摂っているように装いはするが、お互いやそれぞれの相手に言葉を交わそうとはしなかった。
 レオンがそんな大人気ない態度をここでも取ってしまうのは、ただ単に恋敵のアコーディオン弾きが気に食わないからだ。クリスティンは歳周りもシャンティと似合いの若い青年で、悩むことなく素直に近づきたいという意思表示ができる。出逢った時から彼女の最も繊細な一面を目にし、それを慰め、こうして語り合える機会までも手に入れた。勢いに任せて手を出せるような性格ではないだろうし、だからこそゴードンたちも夕食だけなら許したのだろうが、目の前で出し抜かれたに等しい身には実に不愉快なのだ。そしてクリスティンがこの場に居合わせる用心棒に対して、同じ娘に想いを寄せているとは露ほどにも考えず、敵意など全く抱いていないだろうことが酷く悔しい。

“俺はお前が口説いてるお姫さんと一緒に踊ったんだぜ。一方的とは言えこの頬にキスされたことだってあるんだ”

 青年に勝っていることなどその2つしか浮かばないのに、それでもそう思わずにはいられないほど彼には余裕がない。向かいで話しかけてくれるプルーデンスに返事はしていたが、素っ気ない反応だと気落ちされていてもおかしくはなかった。
 そんな風に相手の言葉さえ上の空めいていた理由は、隣でクリスティンと話すシャンティの声を聞いていたからだ。それでいてレオンは決して彼女の顔を見ることができない。もしシャンティが彼には見せない甘くとろけるような笑顔で、出逢って間もないアコーディオン引きを熱く見つめていたならば。そんな姿を見てしまえば立ち直ることなどできないだろう。だからこそレオンは今も彼女に話しかけられずにいるのだ。辛うじて声の調子で反応を確かめることはできるが、いつ希望が潰えるのかに怯えながら盗み聞く会話など、終わりのない拷問を受けていると言っても大袈裟ではない。
 しかしシャンティがこちらを無視し続けている理由はわからず、その不自然な態度が彼の心を不安で蝕んでいく。食事が終わる頃にはむしろ彼女を問い詰めてしまいそうで、もうこれ以上シャンティと話したいとは思わなくなっていた。

「ああ、もうこんな時間だ。お2人は明日も早いでしょう。僕たちも明日の午後にはこの町を離れて西に向かいます。発つ前にお2人とこうして語り合えて本当に良かった」

 支払いを終えたクリスティンは店の前の通りでそう言うと、名残惜しそうに鳶色の眸を見つめ彼女の手を握る。レオンは怒りのあまり腸が煮えくりかえりそうだったが、我知らず眉を寄せ思わずその口を開きかけた瞬間、悲しげなまなざしでこちらを見ているプルーデンスに気づいた。それは恋を知る者の目で、別れを覚悟している眸だ。
 どんなに焦がれてくれたとしても、シャンティを愛する彼は歌い手の想いには応えられない。だが心を寄せる者から粗雑に扱われるということが、どんなに苦しいのかを自分の身を以て知ってしまった今、彼女へのおざなりな対応には罪悪感を覚えていた。それ故に期待を持たせるような言葉はかけたくなかったが、同じ想いを返せないからこそ何かを告げたくも思える。
 そんなプルーデンスの中に自分の姿を重ねたレオンは、気づけば彼女の頬へと触れるだけの口づけを授けていた。

「……っ!!」
「気をつけて旅を続けな、嬢さんの声は綺麗だからな」

 歌い手は大きな眸いっぱいに喜びの涙を浮かべ、伝説的なロデオの腕を持つ男へと礼を繰り返す……きっと彼女はこの夜の出来事を忘れることはないのだろう。

「短い間でしたがご一緒できてとても楽しかったです。またどこかでめぐり会えたら、次は私がご馳走しますね」

 “さようなら”と兄妹へ丁寧に挨拶をしたシャンティは、一足先に宿へ向けて歩き始めたレオンの後を追う。さりとて彼女は歩調を早めて隣に並ぶわけでもなく、男の1歩半ほど後ろを無言でついてくるだけだった。

「――“またどこかで”、か」
「え?」

 数時間ぶりに交わした会話は目も合わさぬまま始められ、宿が見える場所まで来るとレオンはようやく後ろを振り向く。他人の目があったからこそ抑えることもできたもどかしさは、今やその矛先を最も向けてはならない者へと定め、もはや彼自身でも暴走しそうな感情を止められない……。

「もう会えないことくらいあんただって本当はわかってるだろう。あの2人も親がいなくなってから旅暮らしだって言うしな」
「……ミスター・ブラッドリー……?」

 シャンティは明らかにこの唐突な呟きに戸惑っていて、ここしばらく作り物のようだった表情とは違っていた。困惑している彼女をどこか他人事のように眺めつつ、対照的に無表情なレオンは冷淡な声で続ける。

「だが荒野も案外広いんだぜ。別れたらそこでおしまいだ、どこかでまたもう1度逢えるなんて期待はしない方がいい」
「……!」

 それは現実を交えたほんの些細な嫌味のつもりだった。彼とてシャンティの言葉が社交辞令だとはわかっていたが、たっぷり2時間以上酷い葛藤を抱えていたレオンは、嫉妬のあまり彼女に一言言わねば気が済まなかったのだ。
 しかし身勝手な思いを投げつけられた時のシャンティの目は、どれだけの時間が経っても記憶から消すことはできないだろう。傷つくという言葉では表現しきれないほどの悲しみに、クリスティンとの別れの影響の大きさを垣間見た彼は、絶望にも近い衝撃を受けて我知らず唇を噛む。

“あんたはそんなに辛いのかよ、あんな男と離れるのが……!”

 拳を握りしめていなければ思わず叫んでしまいそうだ。明日も傍にいて彼女を護れるのはあの男ではないのに、なぜシャンティはレオンを遠ざけるようなことばかりするのだろう。もう何も考えられない。彼女から好かれているのか、あるいは全く逆なのかさえ。

「ご覧の通り夜も遅い。こっそり宿を抜け出して逢い引きなんてしでかしてくれるなよ」
「そんな……私、そんなこと!」
「俺はもう休むぜ。じゃあな」

 宿に着いてからもやり場のない思いは静まる気配がなく、半ば強引にシャンティを部屋へ押し込んだ彼は戸を閉める。斜向かいの自室へ戻ったレオンは蝋燭に火を点けたが、寝台1つの小さな部屋には眩しすぎるように思えた。