ゴードンと共に宿を押さえてレオンが広場へ戻った時、その目にまず飛び込んできたものは泣くシャンティの姿だった。しかし想い人の涙に彼が駆け寄ろうとするより早く、アコーディオン弾きの若い男が彼女へハンカチを差し出す。

「おいテッド、こりゃどういうことだ?」

 牧童頭がそう問えばテッドは首を振って肩を竦め、クライヴは肯定も否定もせず曖昧に場を濁すだけだ。だがシャンティが往来で泣き顔を晒すなど信じられない。レオンがどんなに彼女の涙を拭いたいと思っていても、3人のカウボーイにさえそんな姿は見せないというのに、まさか見知らぬ相手に慰められているところを見ようとは。

「お、お水をもらってきました。よければ少し……っ!?」

 そこへ1杯のグラスを手にして走ってきた娘が1人、黒い眸のロデオ乗りに気づくとその場で水を取り落とす。

「おいプルー、何やってるんだよ」
「ご、ごめんなさい、クリス。私、も……もう1度お店の人にお願いしてきます」

 豊かな巻き毛が愛らしい娘はなぜか顔を赤くすると、アコーディオン弾きの男に背を向けて来た道を駆けていった。

「すみません、妹はもう少し落ち着きのある子なんですが」
「いえ、こちらこそ突然泣き出してしまいすみませんでした。妹さんの歌声があまりにも綺麗だったので、私――」

 どうやら今しがたの娘はそこの若い男の妹で、大方兄妹2人で旅をしているといったところだろう。そして涙混じりに答えるシャンティの言葉から察するに、その涙は彼女が傷つけられたためのものではないらしい。

「な? まあそういうわけさ。しかし俺もびっくりしたぜ、お嬢がいきなり泣くんだからよ。まあ確かにいい声だったがな」

 薄くなった頭をかきながらテッドが小声で付け加える。彼らはレオンよりシャンティの様々な姿を見てはいるが、それでも驚かずにはいられないほど珍しかったのだろう。それでも周りで続く他愛ない会話など耳には入らず、唇を引き結んで立ち尽くしたままの男の黒い目は、娘に寄り添うアコーディオン弾きを剣呑に見つめてしまう。

「あ、あの、お水です。お、遅くなってごめんなさい」

 そこへ再び戻ってきた歌い手は今度こそ水を渡し、シャンティは目元を拭うと礼を告げながらそれを受け取った。しかし羽根帽子の音楽家の双眸は彼女に釘付けで、その様子に用心棒の感情は激しく逆撫でられる。

“……惚れたか、野郎……”

 一瞬たりともシャンティから目が離せないと言わんばかりの、わかりやすいにも程がある若者の態度に唇を噛む。見知らぬ相手に出し抜かれるのは気分のいいものではないが、それが同じ女に惚れ込んだ恋敵となればなおさらだ。

「プルー、どうしてさっきからずっと黙って――あれ?」

 だが我に返った金髪の兄は妹の視線を辿り、レオンの姿を認めると青い目をはっと見開き尋ねた。

「失礼ですが、もしやレオン・ブラッドリー氏ではありませんか?」
「!」

 その問いに彼は虚を突かれるも、それが肯定であると受け取った相手は破顔して続ける。

「不躾に失礼しました。僕はクリスティン・ローゼ、こちらは妹のプルーデンスです。妹は昔あなたのロデオを競技場で見てからずっと、憧れの人はミスター・ブラッドリーだと言っているんですよ」
「ク……クリス、やめて」

 プルーデンスは慌ててクリスティンの口を遮ろうとするが、レオンはむしろそれを聞いた瞬間に自身の視界の隅で、微かに目を背けたように見えたシャンティに気を取られていた。

「あんたって有名だったんだな。そんなに昔から名が知れてる男だとは思わなかったぜ」

 まじまじと彼を見ながらクライヴは複雑そうに呟くが、少し離れたところに立っている娘は押し黙ったままだ。レオンに好意を向けている相手が他にもいるということに、彼女が動揺してくれたのなら心も慰められただろう。しかし――。

「ミスター・ブラッドリー、もしよければ今夜お食事をご一緒させていただけませんか? 偶然同じ時に同じ町に居合わせたのも何かの縁、妹も喜びますので」

 相手の内心など全く知らない若者がそう尋ねる。正直なところとてもそんな気分にはなれそうもなかったが、含み笑いをしたテッドは用心棒を小突くとこう言った。

「なあ、行ってやれよブラッドリー。どうせ明日にはここも発つんだ」
「……あんたたちがそれでいいなら俺は何でも構わんが……」
「あの」

 平和そうな町だとはいえ危険と無縁ではないのだろうが、そこまで言われてしまうと適当に断ることも難しい。さりとて鈍い反応の終わりを引き継ぐように響いたのは、今しがたまで泣いていた娘の奥ゆかしくも澄んだ声だ。

「差し支えなければ同席させてもらってもよろしいでしょうか? お2人はこれまでもいろいろなところを回られていますよね。その思い出話をぜひお伺いできたら嬉しいのですが」
「えっ!? も、もちろんですよ!」

 シャンティの予想外の申し出に音楽家は喜び勇み、その場で飛び跳ねん勢いで彼女の同行を歓迎した。それは嬉しいだろう、とんでもなく嬉しいに決まっている……それが誰よりもわかるからこそレオンは悔しくてたまらない。

“こんなひよっ子に嫉妬だと? 全くどうかしてるぜ、俺も”

 それでも彼がいる限りクリスティンに目を光らせていられる。プルーデンスもいるとは言え、シャンティと2人きりにさせておくよりは遥かにましなはずだ。

「あんたがお嬢といてくれるんなら俺たちは町をふらつくよ」
「ではお2人でいらしていただけるということでよろしいですか。6時になったら僕たちが宿までお迎えに上がりますので」

 話は勝手に進んでいき、逃げ道などもはや1つもない。とんでもないことになったとため息の1つもつきたくなるが、想い人は巻き毛の娘と穏やかに言葉を交わしている。例え相手がどんなに好感の持てる男だったとしても、レオンは同じ女を争う者と仲良く会話はできない。こうなればあんな風に同行を申し出た理由というのも、少しは妬いてくれたのかという淡い期待とは違うだろう。だとするとシャンティはやはり彼に特別な好意などはなく、むしろ突然現れたこの男に惹かれているのだろうか……?

「ではお近づきの印に得意の歌を1曲お聞きください」

 未だ喜びの余韻冷めやらぬクリスティンはそう挨拶し、頷いたプルーデンスは姿勢を正し大きく息を吸った。美しい旋律が紡ぎ出したそれは叶わぬ恋の歌で、お互いに想い合いながらもそれを知ることのできぬ男女が、別れ別れになっていく心情が情緒豊かに歌われる。その声はさすがのレオンも驚くほど見事なものだったが、無意識のうちに焦がれる相手へ目を向けた彼は絶句した。

“なんて目をするんだ、あんた……”

 シャンティの表情は途方もない切なさに彩られている。涙こそ見せずとも彼女はその時確かに泣いていたのだ。だがレオンの視線に気づくとシャンティはすぐさま顔を背け、胸に隠された秘密を決して明かしてくれようとはしない。
 近づこうとすればするほど彼女は遠ざかっていくばかりだ。それでもその手の温かさは今もなお彼を苛み続け、これまで知らなかった苦しみで息ができなくなりそうになる。自分からあと1歩を踏み出すことさえもできないレオンには、シャンティからこんな風に避けられる心当たりなどないのに。

“……何で俺じゃだめなんだ。俺はあんたにとってその程度の存在でしかないってのか?”

 ローゼ兄妹と別れた一行はひとまず宿へ戻ったが、用心棒の胸中には晴れない雲のようなわだかまりが、不穏な渦を巻くように酷い嵐の訪れを告げていた。