「さあ、街を挙げての餞別だ。今日はあんたたちも腹一杯好きなだけ飲み食いしてくれよ」
そう言ってシャンティを先導するのは決死隊の隊長だ。目に入るだけでも至る所で樽から麦酒が振る舞われ、芳ばしい香りと共に供される大皿の料理が行き交い、あちらこちらから上がる歓声は苦難の終わりを告げている。怪我の癒えた一行が出発を翌日に控えたその日も、秋の涼しさを感じさせない熱気が街にはあふれていた。
「ありがとうございます。でもこんなにしていただくほどのことを、私たち――」
「おいおい、ミス! いや、もうミセスになるんだったか? とにかくあんたたちのおかげで窮した街もまたこの通りだ。恩人に何もせず帰すほどフォートヴィルは薄情じゃないぜ」
いかにも鉱山の男というような厚い胸板を叩き、よく整えられた口髭を揺らして彼は豪快に笑う。行路の安全が確保され物資が届き始めた今では、フォートヴィルで手に入らないものなど何1つ無いに等しい。物の売買額もようやく相場の近くに落ち着き始め、もうシャンティたちほどの大金を手にできる者はいないだろう。いずれこの地にも多くの街とを結ぶ鉄道の駅ができ、より良い売り場を求めて牛を追うような旅も廃れていく。己が身の危険と隣り合わせに一攫千金を夢見る、そんな博打が打てる時代は終わりを告げようとしているのだ……メイフィールド牧場の5人をその最後の成功者として。
「ちょっとばかり古くて悪いが、ここが街1番のホールでな。着飾るような場所じゃねえが、楽しむだけならあのアレンカードにだってきっと負けやしねえ。お仲間もここで飲みながらあんたが来るのを待ってるんだろう?」
「!」
開かれた扉の向こうには大勢の人が集まっていて、頭上には色とりどりの小さな旗が張り巡らされている。大きな窓から射し込む陽射しが明るく照らす室内では、普段着の住民たちが老若男女を問わずに腕を組み、ダンスを楽しむ人々を盛り上げるのは地元の楽団だ。ホールの2階は中央が吹き抜けになったバーも兼ねており、人々の朗らかな笑い声が賑わいに花を添えていた。
ところが微笑みながらそんなサロンを眺めていたシャンティは、その中に酔ったクライヴ、それを困った顔で宥めるテッド、半ばうんざりした様子でグラスを傾けるレオンを見つけ、隊長にエスコートの礼を告げ急ぎ階段を駆け上がる。責任者のサインが必要な細々とした書類は多く、そのうちのいくつかは今日まで処理が間に合わずに残っていた。さりとてそれももはや長くかからないとわかっていたからこそ、他の3人には先にこちらへ来てもらっていたというのに、恨み辛みを聞かされていたのではあまりにも申し訳ない。
「おいてめー、ブラッドリー! 勘違いすんなよ、俺はまだ認めたわけじゃねえんだぞ」
「ああ、もう耳にタコだぜ」
「ブラッドリー、話を聞く気があんならこっちを向きやがれ!」
「――ちょっと、クライヴ!」
「あ、お嬢!」
テッドがあからさまにほっとした顔をしたのも頷けるほど、赤毛の青年は目も当てられない様子で泥酔していた。アラステアを倒したと聞いた時には最高の用心棒、世に2人といない男と言って褒め称えていたというのに、自身の与り知らぬところで想いを育まれていたのが、兄代わりを自称するクライヴには相当に堪えたらしい。その上同僚2人は前からそれに気づいていたとなると、打ち明けてもらえもせず1人蚊帳の外に置かれていたことは、近しい存在としてのプライドを酷く傷つけたのだろう。
今の彼は鶏が卵を産んでも許さぬような状態で、理屈などは通用しない。それがわかっているのかレオンは強い酒を口に運びつつ、律儀に生返事を返しながら彼女が来るのを待っていた。
「こんなところでそんなに酔っ払ってみっともない真似はやめて。明日もしも二日酔いで馬に乗れないなんてことがあったら、私たち3人は遠慮なくあなたを置いて行きますからね」
「みっとも……って、お前なあ! いつからそんな薄情になった!? こいつか? ブラッドリーとつるむようになってからだろ! 違うか!?」
「何言ってるの!? いい加減にして!」
「シャンティ、そう怒るな。もういい」
しばらくすればクライヴの恨み言はじきに泣き言へ変わる。それを身を以て知っている男は隙を突いて立ち上がると、恋人の腕を取るや否や人混みの中へ姿を消した。対角線上の欄干まで彼女を連れていったところで、ようやくレオンは足を止めるも2人の手は繋がれたままだ。遠くからはまだ何か喚くクライヴの声が聞こえていたが、それも今日という日に彩りを添えるものの1つでしかない。
「レオン……本当にごめんなさい。いつもは不機嫌になっても一晩経てば忘れてしまうのに」
「1人くらいはそんな奴がいるだろうとは俺も思ってたさ。まあ今更そのくらいでお前の手を離そうとも思わんし、そうすると思われても困る」
黒髪の男はそう言うとシャンティの細い背をかき抱き、柔らかい唇に深く情熱的な口づけを贈った。周囲からは2人の甘いキスに冷やかしがいくつも飛び交い、街に名を残す彼らを囃し立てんと口笛が鳴り響く。そんな場面を目にしてしまった哀れな兄貴分の呻きが、遠くから悲鳴めいて上がったことなど少しも意に介さず、レオンはささやかな復讐を済ませて帽子のひさしを上げた。
「どうした? 耳まで真っ赤だぜ」
手の甲で彼女の頬を撫でる男はおかしそうに囁く。
「だって、あなたが急にあんなこと」
「恥ずかしがるのは大いに結構。だがお前にはこういうことにもだんだんと慣れてもらわんとな」
「え?」
「例え花嫁衣装を着る予定が近々入っていようと、隙あらばお前にちょっかい出そうって奴は多いってこった――そこでだ」
「!」
アレンカードのダンスホールで盛装を纏い踊った夜も、レオンは1度たりとも他の男をシャンティとは踊らせず、彼女を繋ぎ止めるかのように絡めた指を離さなかった。そして今、婚約者として正式な権利を得た彼は、堂々と恋人をその腕に抱え上げ階下に降りていく。向かう先はもちろん、賑わいの続いているダンスフロアだ。
「レオン、脚は……」
シャンティは不安そうな眸で咄嗟にレオンを仰ぎ見るが、黒い目を楽しげに瞬かせた男は余裕もたっぷりに、腕に抱いた恋人に向けて微かに唇の端を上げた。もう離さない――その想いは言葉ではなく行動で示される。
「年寄り扱いしてくれるなよ。この日のために狭いベッドの上でしっかり養生したんだ、お前1人抱えて下に降りた後踊るなんざわけないさ」
レオンとシャンティがそれぞれ別々に歩んできた人生は、異なる道を辿りながら同じ場所へと2人を導いた。違う世界に生きていた男女は偶然によってめぐり逢い、恋に落ち、新たなる旅立ちの時を迎えようとしている。これから先の行く手にどんな暗闇が待ち受けていようとも、もはや恐れるものは何もない。彼らを守護する運命の星は頭上に燦然と輝き、2人がそれを見失うことなどもう絶対にないのだから。
「よっ、妬けるね! 色男!」
「お似合いだよ! 幸せにね!」
喜びに沸くフォートヴィルの人々から温かく迎えられ、娘はあの素朴な微笑みを彼だけに向け浮かべてくれる。こうして見つめ合える日をレオンがどれほど熱望していたか、シャンティがそれを聞かせてもらえる日もそう遠くはないだろう。
荒野の恋人たちは再び手に手を携え寄り添い合い、いつまでも終わらない軽快な音楽の中に身を委ねる。愛の言葉を交わしながら、また1つ幸福な思い出をお互いの胸に刻むために。