人間同士が愛し合う行為というものの知識はあった。だが実際に人の姿を借りて行う交わりは鮮烈で、言葉で表すことなどできないほどにたまらなく気持ちいい。ぬるぬると滑るトゥーラの中に己が身を深く沈めながら、マノエルはあふれるほどの快感に目も眩まんばかりだった。

“人間たちは皆こんなことをしているのか……?”

 歓びに溺れてしまいそうな意識を必死に手繰り寄せる。羽毛を持たない剥き出しの肌を確かめるようにかき抱き、卵でなく仔を育てるため膨らんだ胸に手を触れながら、マノエルは飽くことなく嘴のない唇で愛を紡ぐ。柔らかく温かい彼の番いは本来別の生き物だ。だがマノエルが心から求めたのはただ1人トゥーラだけだった。だからこそ愛の実はこんなにも強く2人に作用したのだ――使いが運んで来る途中で誤って森に落とされた実は。

「マノエル様、大変です!」
「どうした?」

 それはその日の昼下がり、マノエルが集まった雌たちをぼんやりと眺めていた時だ。王の傍へと飛んできたルカスの声は潜めてはいるものの、日頃の彼の様子とは違い動揺も露わなものだった。

「それが……」
「何だ、早く言ってくれ」
「……愛の実を運んでいた者がはぐれ鷲に襲われたそうです。その者は間一髪逃れて命だけは無事でしたが、実が……」

 そこまで聞いたマノエルの羽毛の奥には嫌な汗が吹き出る。そしてルカスが告げた言葉は予感を裏切らず非情だった。

「木の実が森に落ちてしまったと。レジスの果樹園の近くだそうでしばらく探したようですが、マノエル様の実は自生した果実と見分けがつかないために、結局は報告を優先してこちらに戻――っマノエル様!」

 最後まで聞かずにマノエルは紅い翼を広げ飛び立った。色とりどりの雌たちは何事かと上方を仰ぎ見たが、彼女たちに説明を加えている時間などあるはずもない。群れの王はトゥーラの家が見えると徐々に高度を下げていき、森の木立の中を緩やかに滑空しつつ“匂い”を探る。愛の木の実は彼自身の分身にも等しいようなもので、熟れた自然の果実とは何かが決定的に違っている。しかしそれを判別することはマノエル自身にしかできない以上、彼自ら一刻も早く実を回収せねばならなかった。
 もし既に他の動物が食い荒らしていたらどうなるのだろう? 食べれば愛が芽生えるなどという神話を信じてはいないが、自らの身でその仮説を裏付けて実証するつもりもない。だがもし、万が一トゥーラがあの実をその手に取っていたとしたら……? あってはならないと知りながら、マノエルは同時にそれを何より強く望んでしまっていた。種族の違いを超えるほどの恋に落とす力があるのなら、愛の実を渡したい相手など元より彼女だけなのだから。

“そんな……まさか”

 しかし実際に匂いの出処が小さな家へと近づくにつれ、鳥の王が感じていた畏れは大きくなっていくばかりだ。一際強い香りが残る場所に実が落ちたのは確かだろう。何者かがそれを食べたことももはや疑う余地などないが、それがトゥーラだという保証などこの世のどこにも存在しない。だがその匂いが彼女の家の扉まで続くのを感じた時、マノエルはこの先に起こり得る全ての出来事を覚悟した。運命の絆は既にトゥーラと彼を結んでしまったのだ。愛の木の実が落とされ、彼女がそれを手にしたその時から。
 マノエルは地に降り立ち、いつものように人へ姿を変える。トゥーラに逢うのが恐ろしい、それは初めて覚える感情だ。それでも結ばれるべき番いの甘い匂いには抗えない。愛し合って仔を成し、全てを分かち合い1つに溶け合いたい。魂に刻まれた原始的な生き物の本能が叫ぶ。

「トゥーラ、そこにいるか?」

 開いた扉の先には濡れた髪も美しい相手がいた。華奢な手脚を晒したまま、こちらを見つめる若草色の眸に王は理性を失くす。欲しい――たまらなく欲しい。もう誰にも自分を止められない。若く美しい雌、それもずっと恋い焦がれて想っていた。いかに冷静な彼といえどもそれに逆らうことなどできず、操られてでもいるかのようにトゥーラの傍へ惹き寄せられる。秘めたる想いは日の目を見ることなく潰えるはずだったのに、彼女も木の実の不思議な力を受けていることを知った今、求め合う2人の繋がりを邪魔立てするものなど何もない。
 玄関の戸も開いたまま、板張りの床の上で惹かれ合う雄と雌は1つになった。もどかしい焦燥感に焼かれるようにお互いを求め合う。

「トゥーラ……トゥーラ」

 その声に満ちる愛しさをいつか彼女も理解してくれたら。人ならぬ者との交わりさえ許せるほど愛してくれたら。トゥーラを抱いたマノエルは生涯他の誰とも番いはしない。彼の種族にとって番いの相手とはかくも尊いものだ。命尽きるまで愛し、その傍を片時たりとも離れない。相手が違う種族であろうと彼女にはそうする価値がある……何よりも愛しく大切なこの無垢な人間の娘には。

「マ……ノエ、ル……!」

 頬を濡らす歓びの涙、切なくも甘く呼ばれるその名。こんな日が来ることを本当は心のどこかで望んでいた。抑え込んでいた想いの限りにトゥーラと愛し合いたかった。彼女が人で、自分が鳥という身に生まれついていようと、今この瞬間1つになった2人を引き裂くことはできない。
 愛の木の実に込められた力とは一体何だったのだろう。口にした者に燃え上がるような恋を抱かせるものなのか、王の血を継いだ卵をその身に宿らせるだけのものなのか、はたまた狂おしく求め合える単なる媚薬に過ぎないのか。マノエルはトゥーラの真心から生じる愛を欲していたが、さりとてこの実を口にさせれば心が得られると知ったなら、彼がその実を手渡しに来る日もそう遠くはなかったはずだ。
 いつから恋をしていたのか、それはマノエル自身にもわからない。幼い赤子がぐずって泣くのを傍で見守っている時は、レジスと同じく親代わりのような思いを持っていたはずだ。しかしトゥーラは時が経つにつれて美しい娘へと成長した。彼女がもはや子供ではないと認識を改めた時から、報われない恋心は既に王の中にあったかもしれない。そして鳥たちの良き隣人たるレジスが亡くなってから先、ついにトゥーラの家の戸をマノエルは自ら叩いてしまった。
 見守るだけでは足りない、傍にいてずっと彼女を護りたい。喜びも悲しみも、その全てを2人で分かち合っていきたい。それは種族の違う者には過ぎた願い、夢物語だろう。鳥の伴侶を得たいと望む人間などいないこともわかる。王の血筋に宿る力で人の姿に変われるとはいえ、本来のマノエルはただの大きな鳥であることは変わらない。愛しい相手とただ一言言葉を交わすことも叶わない、別々の運命を生きる相入れぬ世界の生き物なのだ。
 それでもマノエルはトゥーラだけをひたむきに深く愛していた。歴代の王の中で最も聡明と謳われる彼だが、こうして人間の女と交わったと知れればどうなるだろう。しかしただの1羽の雄として焦がれた相手と番った今、そんな些細なことを気にかける余裕などどこにもありはしない。残っているのは恋しい雌といつまでもこうして繋がりたい、この瞬間の愛しさを永遠に脳裏に焼き付けておきたい、愛する番いの温もりを感じていたいという願いだけだ。

「愛しているんだ、トゥーラ……どうか私の子供を産んでほしい」

 昇り詰めていく快感の中でマノエルはそう懇願する。そして彼の背に強く腕を回したトゥーラが頷いた時、高貴な鳥の王はその精で最奥をいっぱいに満たした。