その晩の食事は心配とは裏腹に和やかに進んだ。それはシャンティの最も得意とする料理の1つでもあり、牧童たちから絶大な支持を集めて止まぬミートパイが、食卓を飾っていたことも決して無縁ではなかっただろう。そしてまだ熱いそれを口にしたレオンが賞賛したことは、男たちの警戒心を僅かに緩める効果さえあった。

「な、めちゃくちゃ美味いだろ? ここに暮らしてる俺たちでさえ月に1度しか食えないんだ。あんたを通してよかったぜ」

 秀でた額に汗しつつ、テッドは2切れ目のパイを取る。その間もクライヴは黙々とあらゆる食べ物に食いつき、ゴードンはしかめ面をしながらもシチューの具をかきこんでいた。シャンティは他の者の皿が空にならぬよう気をつけながら、想像よりも穏やかな食事を楽しんでいるように見える。
 5分もしないうちにレオンは4人の力関係を見抜き、複雑な感情が言葉なく飛び交う様子を感じていた。食卓で交わされている会話の内容を耳にする限り、この場に血縁関係がある者は1人もいないのだろう。牧童頭で随一の影響力を持っているゴードン、一見楽天的だがその実隙を感じさせないテッド、そしてまだ若く荒さもあるが仕事には誠実なクライヴ。
 しかし最も興味をそそるのはやはりシャンティに違いない。問わずとも親を亡くした身であろうことはレオンにも知れたが、それでも牧場主という肩書きを受け継いだ彼女のため、3人のカウボーイたちは見返りを求めず傍に留まる。十分な給金を払える余裕はなさそうだからと言って、不健全な関係を築いているようにも見えないとなれば、長い時間が家族のように彼らを結びつけているのだろう。そして我が身も顧みずそう接させるに足りるだけのものを、シャンティはその資質として身の内に秘めているに違いない。
 これまでの長い人生で、そんな例は稀有とはいえ全くあり得ぬわけでもないことを、流れ者は自ら見聞きした知識と経験で知っている。さりとてここまで強固な絆を築くのは難しいものだ。だからこそそんな数奇な場所に期せずして辿り着けたことも、思いがけず舌鼓を打てるうまい飯にありつけたことも、久々に水を浴び砂埃を落とすことのできた今では、自らが持って生まれた運がよかったとしか思えなかった。

「まだありますのでお口に合えばどうぞ召し上がってくださいね」

 そう言ってパンを切り分ける娘は柔らかい笑みを浮かべる。都会も田舎も一通り知り尽くしている旅人にとって、この牧場はお世辞にも繁盛しているとは言えなかったが、心を尽くした素朴なもてなしには素直に感謝していた。昨今は道すがらに宿を求めても追い出されるばかりで、運良く受け入れられても厩で一夜を明かすこともあれば、訪ねる家すらない時にはこの荒野が彼の寝床となる。この10日ほどは人の姿さえ見ない日々が続いたために、値踏みをするような視線と敵意ある発言に晒されても、メイフィールド牧場はなお得難い場所のように思えるのだ。
 相手の側からどう見えようと、レオンは自身に何ら疑われる落ち度はないと知っている。痛くもない腹を自ら探らせようとまでは思わないが、もしそうされたところで後ろ暗い過去など1つもなかった。彼が敢えて口にしなかった詳しい素性を知ったところで、この4人が急に態度を変えるようなこともまたないはずだ。そうであればお互い余計な話題は口にしない方がいい。
 話が弾むことこそなかったが全くの無言というわけでもない夜の食事を終えた後、レオンは片付けを手伝おうかと牧場主に申し出たが、その日の当番であるクライヴは素気無くそれを断った。口調に棘を感じたシャンティは不満そうではあったものの、気を取り直し今夜の客を2階の客間へと案内する。それは寒い時期ならば暖炉に炎が踊っていたであろう、大きなベッドが整えられた見た目も美しい部屋だった。

「このお部屋を使ってください。もし何か必要なものがあればベルを鳴らしていただければ」

 牧場主は小さな白い陶器のベルを旅人に渡し、井戸水で満たした水差しをベッドサイドのテーブルへと置く。想像以上の部屋の豪華さにレオンは呆気に取られたが、そんな風に驚かされることは当然ながら滅多にない。

「明日、朝食を召し上がれるように準備をしておきますね。馬にももちろん新しい水と飼葉をあげておきますので」

 疲労した彼を慮ってシャンティは立ち去ろうとするも、ようやく我に返ったレオンはその腕を掴んで引き留める。

「ミスター?」
「ああ……いや、すまん。長くあちこちを回ってるが、こんな部屋に通してくれたのはここの牧場が初めてでね」

 それはなぜ見ず知らずの男にここまでしてくれるのかという、彼にとっては至極当たり前の疑問を含んだものだった。だが娘の鳶色の眸に切ない影がよぎるのを見て、レオンは己の手で触れたままの彼女の腕をそっと離す。その問いが何か辛い思い出を呼び覚ましてしまったことを、無意識のうちに旅人の男は感じ取ってしまったのだ。

「あなたにとってはくだらないことと思われるかもしれませんが、私もこうしてお客様をもてなすことが夢だったんです。至らないことばかりでご不便をおかけしているでしょうけれど、少しでも喜んでいただければ私も嬉しく思います」

 目を伏せてそう言った娘は静かに戸を閉めて去っていった。微かに軋む廊下の床板がその足音代わりとなるも、すぐにそれも荒野の夜の静寂の中に溶けて消えていく。窓から覗く空には細い月が冷たく輝いているが、部屋の中を照らすのはシャンティが残したランプの灯火だ。きちんとベッドメイクが施された寝台へ腰を下ろすと、揺らめく炎の芯からは花のような香油の匂いがした。すぐさま眠ってしまえば気づかなかっただろう些細なことが、今日のレオンにはとても懐かしく感じられるのはなぜだろう。
 こんな暮らしをしていてもそれなりの金なら彼も持っていて、受けたもてなしに見合った額を払って出ていくつもりでいた。数字の書かれた紙を渡す以上の何かを返したくとも、それはただの感傷や自己満足の類いに過ぎないだろう。牧童たちが滞在を許したのは一晩だからだろうし、何よりレオンは1つの場所に長く留まれない性質だ。もし彼が半日ほど仕事を手伝うと申し出たとしても、娘はともかく男たちはそれを望まないように思えた。

“柄にもないことを考えちまうなんてどうしちまったのかね……こんなベッドに寝るのも久方ぶりだからってことにしとくか”

 レオンは再び立ち上がり、真鍮の器に用意された温い水で顔と手を洗う。水差しの水で喉を潤して身につけたものを脱ぎ去ると、男は内心で独りごちながら寝台に身を横たえた。その気まぐれな考えについて思いを巡らせようとしても、何日もの間馬の背に揺られていた身体は正直だ。溜まった疲れを少しでも回復しようと眠気を催し――いつ眠りに落ちたのかもわからず低い寝息を立て始める。
 シャンティは生まれ育った生家の台所の古い扉が、運命の出逢いをもたらすと思ったことなどなかっただろう。そして広大な荒野を枕に流離っていたレオンもまた、たった一晩の宿を求めにふらりと立ち寄ったその場所で、自らの生き方が変わるとは考えなかったに違いない。
 しかしこの時2人の宿命は既に動き出していたのだ。そして静かな夜が明け眩しいほどの日が昇った翌朝、荒っぽく駆られた馬たちの嘶きが風雲急を告げた。