草地が途切れると大地は乾いた赤い土を剥き出しにし、晴れてはいても強い風は砂埃となって行く手を阻む。牛や馬はこの手の不愉快な陽気を殊更酷く嫌い、牛の中にはちらほらと速度を上げがちなものも現れた。日頃は大人しく扱いやすさで知られた品種であっても、気が立った牛が1頭でもいれば影響は群れにも及ぶ。それは時に収拾のつかない大暴走をも招きかねず、そんな事態をいかに防ぐかもまたカウボーイの腕次第だ。

「さあ、さあ!」

 だが5人の中に強面の老牧童頭がいる限り、シャンティが四方八方に散った牛の後を追うことはない。低くともよく通る声は年齢を重ねても力強く、長年の経験による辣腕で牛たちを導いていく。老いてなお眼光鋭い青い目は全てを見通すように、仔牛の1頭たりともその群れを離れることは許さない。
 ゴードンはシャンティの父が荒野に牧場を作って以来、同じ仕事に携わってくれている最古参の牧童だ。肩書きこそ上とは言えど、年季の面では比べ物にならない女牧場主には、口こそ悪く小言も多いが頼りにできる存在だった。その能力で人柄を判断することに慣れているが故、優れた腕を持つレオンに疑いを向けることももはやない。この旅にシャンティと同じほどの寂しさを感じているのも、敢えて1人選ぶとすればこの牧童頭だっただろうが、ゴードンはそんな胸の内を口どころかおくびにも出さない、古式ゆかしい昔ながらの性質を持つカウボーイだった。

「おい、お姫さん。ちょっといいか」

 落ち着きを取り戻した牛の群れにほっとできたのも束の間、太陽が真上を過ぎたあたりでレオンが傍へとやって来る。

「ミスター・ブラッドリー、何か……?」
「もう少ししたら雨が来る。それもかなり激しいやつと見た」

 一行の進路へ向けた黒い目を細めながら彼は言うが、慌ててそちらを見やった娘の双眸に映る限りでは、南の空にも晴天が続いていて風も乾いたままだ。

「もちろん今すぐってわけじゃない。だが腹は括っておいてくれよ、今夜は濡れ鼠で震えながら夜を明かすかもしれんからな」

 荒野の天気は変わりやすく、シャンティもまたこれまでの経験からその事実を知っている。しかし天候を読むのに長けるテッドすら何も言わない今、そこまで急な変化が訪れることを予測できるだろうか?
 ――だがそんな疑問は数時間後あっさり解決する。

「ちくしょう、酷え天気だ!」

 紫色の稲光があちこちで暗くなった空を裂き、横なぐりの雨が即席の沼地をいくつも作り出す中、5人は急拵えのテントの中で水滴を払っていた。テッドが微妙な湿度の変化に気づいた時にはもう遅く、空には驚くほどの早さで黒い雨雲が大きくなる。避難所代わりに杭を打ち、予備の幌をかけ終わった頃には滝のような雨に打たれて、ずぶ濡れの帽子を脱いだだけでも髪から雫が滴った。辛うじてびしょ濡れは免れたシャツに急ぎ着替えたところで、すっかり水を吸い込んだ衣服を乾かす術はここにはない。

「……どうしてわかったんですか?」

 まるで予言者めいてこの雨を言い当てていた男を見上げ、栗色の髪を濡らした娘はそっと小声でそう尋ねる。レオンは胸のポケットから湿気ていないマッチを取り出すと、オイルランタンに手早く火を入れながら彼女を見て答えた。

「勘さ。根拠はないが、なかなか役に立つ時もあるんでね」

 炎が放つ光を受けて薄暗がりに何かが煌めき、シャンティは彼のベルトに銀の細工がしてあることに気づく。革紐や銀の工芸品、羽根を散りばめたネックレスは先住民たちが好むものだ。レオンがそういったものの意味を知っていて携えているのか、はたまた興味はないが身につけているだけなのかはわからない。しかし炎が照らし出す横顔はどこか荒野の民に似て、彼の纏う独特の雰囲気の由来をほのかに思わせる。恐らくそう遠くないところでその血を受け継いでいるのだろう。先住民たちは風の匂いで天気の変化を感じ取り、数日先の天候までも読める者がいるという噂だ。だとすればレオンがこんな風に空模様を予知できることも、馬の扱いに特に秀でていることも全て理解できる。
 これまでの人生の全てを詳らかに聞くつもりはないが、いつか彼からそれにまつわる話を聞かせてもらえるならば。もしそんな日が訪れれば、それこそ夜通し語られたとしても飽きることなどないだろう。レオンの低く張りのある声で紡がれる物語の前に、シャンティは一晩中耳を傾けずにはいられないはずだ。そんな夜を過ごすことができればどんなに素晴らしいだろうか……。

「今夜はここで雨宿りか。ろくに火も炊けなきゃ飯も食えねえとは全くついてねえよな」
「まあそう言うな、今までの旅路がちょっと順調過ぎたんだ。1日くらい足止めを食らったところでそう変わりはねえさ。とりあえず全員寝られる、それだけでもましだと思おうぜ」

 動物たちは本能で身を寄せ合い、雨から仲間を守る。だからこそこんな夜には牛泥棒とて仕事は難しく、狼たちも視界の悪さから狩りに出ようとまではしない。かと言って寝ずの番を置かないというわけにはいかなかったが、交代でその任に着く限り誰もが少しは横になれる。少ない人数で無理をしつつも先を急ぐ5人にとって、この雨は身体を休めるためにはありがたいことでもあった。

「明日にはまた晴れるだろうよ、そうすりゃお嬢の飯が食えるさ。ちょうど豆もふやけてきたし、煮込み時間も短くて済むな」

 ほとんど髪もないがためか、こざっぱりとした雰囲気さえするテッドが笑ってそう言うと、気落ちしたテントの中はしばし和やかな空気に包まれる。長く辛い旅だからこそ、物事の良い面に気づかせてくれる彼のこんな性格は、ともすれば項垂れてしまいがちな心の支えとなるものだ。ゴードンやクライヴは娘や妹として扱ってくるが、テッドはいつでもシャンティの友人のように振る舞ってくれる。だが一見楽天的にも思えるその言動の奥には、長年の経験が培った洞察力が秘められており、それこそが彼を頼もしい人物として印象づけるのだ。
 かつては多くのカウボーイたちがいたメイフィールド牧場も、アラステアが訪れたあの日から人はすっかりいなくなった。それでも最後まで留まることを選んだ3人の男は、ライアンの意志を継いだ愛娘をこうして見護り続ける。フォートヴィルに辿り着いた後で彼女が選び取る人生を、志半ばで逝った父親に代わって見届けるために。

「何だ、せっかくの白い牛まですっかり泥だらけじゃねえか」
「雨で綺麗になるかと思えば意外とそうもいかねえもんさ。乾いちまえば土埃も立つし準備ができたら出発だ、今日こそは何か食べさせてやらんと牛も腹が減ってるだろう」

 明け方に雨は止み始め、目覚めは再び眩い朝日の光によってもたらされる。燃やせそうなものを見繕って温かい食事にありつくと、5人は足場の悪い場所から何頭かの牛を救出し、脱輪しかけた馬車を引き上げて旅立つ準備を整えた。その頃にはぬかるんでいた地面もあちらこちら乾き始め、荒野はまるで雨などなかったかのような姿を取り戻す。
 最後に熱いコーヒーを銀のマグに1杯分楽しむと、シャンティたちは再び馬に乗り牛を追う牧童となった。今日という新しい1日にはどんなことが待っているのか……不安半分楽しみ半分に心に思い描きながら、牧場の娘は愛馬の手綱を緩め大地を駆けていく。未だ遠い南の彼方、夢の街フォートヴィルを目指して。