苦い記憶の残る町を去ってからは緑の丘が続き、メイフィールド牧場一行は順調に南へと進んだ。その後は荒れた土地と足場のぬかるんだ沼地を交互に越え、旅立ちからは早くも3週間近い時間が過ぎている。先を急ぐ旅とは言えど、全力疾走することばかりが最善手だとは限らない。目的地のフォートヴィルへ寝る間も惜しんで駆けつけたとしても、売ろうとしている牛たちが肋も浮き出た痩せぎすであれば、肉に飢えた住民の間でも買い手はとてもつかないだろう。草地では食べ物を与え、岩場は足早に通り過ぎる。キャトルドライブにも気候や天候に応じたやり方があり、それを無視しても失うものは多くなっていくばかりなのだ。
 だからこそこれからしばらくは岩混じりの場所を行くにあたり、小川に泉と木立ちさえある平原の端で足を休め、体調を整えることに異論を唱える者はいなかった。

「明日からはまた石ころだらけの道かよ、転ぶんじゃねえぞ」
「テッド、お前がもう少し痩せてやりゃ馬も楽なんじゃねえか?」

 動物たちがたっぷりとその胃を満たし休息を取る間、5人は馬に乗り続け軋んだ身体を空の下で伸ばす。川で身体を清め、洗濯も済ませて食事を頬張ると、夕暮れ時に笑い話を楽しめるような余裕もあった。だがシャンティの心中は目に見えているほど穏やかではない。
 言及すれば彼女が自身を責めるとわかっているからこそ、牧童たちは最初の町についてもう触れることはなかった。シャンティはまだあの出来事を過ぎたものとして割り切れていない、こちらからは何も言わずとも彼らはそれを感じているのだ。例え秘密にしたくともゴードンたちに隠し事はできない。全てを知られているというのは居心地が悪いこともあるが、心が弱ったこんな時には温かくもありがたいものだ。そして肉親を亡くした彼女が頼れる者がいるとすれば、それは同じ牧場で苦楽を共にした3人だけだった。
 しかし彼ら以外の相手に甘えてしまうわけにはいかない。用心棒の言葉通りまだ旅も先は長いというのに、また自分は同じ誤ちを繰り返してしまうのではないか――そう自問する度にシャンティの胸には鈍い痛みが走る。自身の弱さが他人を危険の只中に巻き込んでしまう、そんな経験はレオンとアラステアの件だけでも十分だ。それなのに再び彼を害する行為をしてしまったことも、若い娘の心を押し潰すかのようにのしかかっていた。
 シャンティが雇ったとはいえ、自ら危うい場所へと近寄る娘のお守りはさせられない。レオンは用心棒としての契約を結んだ相手であり、保護者のように意図を察してくれる他の牧童とは違う。感謝も謝罪もおざなりにしていいような相手ではないのだ。ましてや銃を抜く以外のことで頼りにしていいはずもない。
 もはやこの旅に欠かせない一員となってしまったからこそ、彼に対して礼を失する振る舞いなどは言語道断だ。シャンティに呆れるあまりレオンが一行から去ってしまえば、その時になって後悔したところでもう全ては遅すぎる。悩みなど考え始めればいくらでも尽きず生まれてくるが、そんなものは故郷ふるさとへの未練と共に断ち切ってしまわねば。これからも彼とこうして一緒に旅を続けていきたいなら、心の中で懺悔しているだけでは何も伝わりはしない。

「あの……ミスター・ブラッドリー」
「ん?」

 夕食後の片付けを終えた娘は1度深呼吸すると、マースローにブラシをかけていたレオンへ静かに声をかけた。胸が引き絞られているかのように酷く緊張していたが、他の3人はそれぞれ自分の仕事をし周りにはいない。彼らにじろじろ見られたままでは何とも話しづらいことも、今ならばきっと自分の思いの丈を素直に言えるはずだ。

「この間の宿ではご忠告どうもありがとうございました。私の気が緩んでいたせいでお手を煩わせてごめんなさい。こんなに時間が経ってからお伝えするのも苦しいのですが、もうミスター・ブラッドリーにあんなご迷惑はおかけしません。ですからどうかこれからも私たちと来ていただきたいんです」

 彼への反省と誠意を込めてシャンティは真剣に告げる。他の牧童たちならば女主人の本性など見せずに、何らかの理由をつけて彼女を宿から連れ出していただろう。しかしレオンが敢えて厳しい現実を教えてくれたことで、シャンティは不注意が招いた最悪の事態を回避できた。曲がりなりにも牧場主、また彼の契約者と言うなら、見えている罠に飛び込むような危険など避けて然るべきだ。それはこれから先の旅路でも判断を下す指針となる。フォートヴィルを目指す上でナイーブさなど必要ないのだから、彼女は心に鎧を纏ってでも強く在らねばならない。
 ……だが。

「何だ。あんたまだそんなことを気に病んでたのかい、お姫さん」

 レオンは珍しく腹を抱えんばかりに大声で笑うと、きょとんとしたシャンティに向かってさも愉快そうな声で言った。

「一体何の話かと思えば食わせ者の女将のことか。あんただって最初からあの押しには及び腰だったじゃないか? 別に礼なんていらんよ、それに謝るようなことでもない。夜中に刃物を持って寝首を掻きに来られたわけじゃあるまい、そういう輩じゃなかっただけまだ運が良かったって話さ」
「そ、そんな」
「あながち冗談でもないぜ。フォートヴィルに着く頃にはそんなことも懐かしく思い出すさ。それにあんたは女だ、何より熱い風呂が恋しいはずだ。町がありゃあ宿に寝泊まりしたくなるのは俺だって同じさ、誰もそんな小さなことであれこれ文句を言うつもりもない」

 あっけらかんとした物言いにはさすがに娘も驚いたが、1度開いた口を噤み、もう1度それを開いてからやっとシャンティは言葉を紡ぐ。

「……気にしていないんですか?」
「出来損ないの牛泥棒のことならもう忘れちまってたよ、あんな寂れた宿でも髭が剃れただけましな方だったしな。それに誰も怪我1つなけりゃ牛も馬も盗られず済んだだろう? ちょっとスリルがあっただけさ、飯と酒は酷いもんだったが」

 レオンは今まで一体どんな人生を送ってきたのだろう? あの件以来悩み続けてきた自分が間抜けに見えるほど、彼にかかればまるで取るに足らない出来事のように思える。パートナーの黒馬とあらゆる場所を旅してきた間には、間一髪のところを逃れた窮地もきっとあっただろうが、時が過ぎ去れば彼女もこうして笑って話せるのだろうか?
 レオンの声が、雰囲気が、あるいは彼の生き方自体が、なぜか不思議なほどの安心感をシャンティに与えてくれる。それは両親とも家族同然のカウボーイたちとも違う。今までそんな人物に出会ったことなどただの1度もない――こんなにも無条件に、心から信頼できる相手には。

「それにあんた忘れてないか? どうして俺がここにいるのかを」
「え?」

 広い背を向けてしゃがみ込み、彼が愛馬の蹄に塗り始めたのは白っぽい軟膏だ。娘がかつて差し出したスチール缶を持っていてくれたこと、それが今はどうしてか涙が出そうなほど嬉しく思える。

「俺はあんたにいざという時の用心棒として雇われた。例えこの先に待ってるのが札付きのお尋ね者だろうと、あんたたちが牛を連れて行く場所へ俺もずっとついて行くさ。それがあんたとの約束だ」

 牛を追う手伝いをするのは不可抗力だと付け加えつつ、鳶色の眸が見つめる先でレオンはくるりと振り向いた。

「安心しな、お姫さん。あんたは必ず俺が護ってやる。何があろうと旅の最後、目的地のフォートヴィルまではな」