“あんたは必ず俺が護ってやる”――レオンの口からその言葉を聞いたあの草原の夜以来、シャンティはまた以前のように明るく振る舞えるようになった。だからと言って再び災難に飛び込むつもりはないにせよ、少なくとも全てに怯えながら行動する必要はない。常に気を引き締めていなければという決意に揺らぎはないが、起きてもいないことを恐れて思い悩んでも虚しいだけだ。全く現金なものだと自分でも少し呆れてしまうが、彼がいてくれる限りどんな危険もないようにさえ思える。
 レオンは何があろうとシャンティを護るとそう誓ってくれた。それは誰もが口に出せる単純な一言でしかないのに、なぜこんなにも簡単に不安を打ち砕いてくれるのだろう。同じ言葉は他の3人も1度ならず伝えてくれたが、用心棒のそれはどうしてこうも心に響くのだろうか……?

「小娘、お前最近やけに調子づいていやがるじゃねえか」
「そう? そんなつもりはないけど……」
「へこたれねえ娘っ子だな。じゃじゃ馬で嫁の貰い手が見つからねえならサリーが嘆くぞ」

 今の彼女はそんなゴードンの嫌味半分な言葉にさえ、心からの笑顔を見せながらいつものように返事ができる。だが付き合いが長い者ならばこの偏屈な老人につき、ここ数日の機嫌がすこぶる良いということに気づいただろう。シャンティを妻としたいと言うような男はそれが誰であれ、1発は殴らなければ気が済まないと言っているゴードンが、そんな軽口を叩いているのも浮かれているという証だ。内心は我が子とも思うシャンティが塞ぎ込んでいたものの、ようやく元気になったことが嬉しくて仕方がないのだろう。
 この数日で荒れ地に脚を痛めた牛が何頭か出たが、岩場は1週間もせずに終わり再び平野が広がる。夏の盛りに近づく太陽は帽子をしてもなお眩しく、水の確保が課題とはいえ旅は順調に推移していた。傷が治りかけてきたクライヴが時折微熱を出すものの、消毒液なら豊富にあるだけあって経過も悪くはない。もうしばらくすれば未だ本領を発揮できていない彼も、満を時してカウボーイとしての腕を見せてくれることだろう。出発以来馬車の御者台で燻り続けているからこそ、クライヴ自身もその日が来るのを指折り数えて待っていた。

「クライヴ、いよいよ明日はお前も当番をやってもらうかね。とりあえず今夜は寝とけよ、明日居眠りしねえためにもな」
「おう、夜番なら任せとけ。はぐれ狼でも何でも見つけたらすぐ追っ払ってやるよ」

 夕食を終えてゴードンとテッドは見回りへと出発する。この辺りは獲物になるような野牛こそ住み着いていないが、一匹狼は餌を求めてどこにでも現れるものだ。静かな草地の夜だとて、やはり火を絶やすことなく牛や馬も警戒せねばならない。
 赤毛の青年は幌馬車の荷台で包帯を巻き直すと、疲労からかいつかのようにそのままぐっすりと眠ってしまう。自然と2人になったレオンとシャンティはコーヒーを片手に、他愛ない会話を続けながら穏やかな時を過ごしていた。

「ミスター・ブラッドリーはあちこちを巡っていらしたそうですね。差し支えなければどうして旅をしていたのかお尋ねしても……?」

 昼間に比べて冷える夜は焚き火の暖かさが心地良く、炎が灯った薪からは乾いた音を立て火花が散る。栗色の髪の娘は用心棒へ静かに問いかけつつ、なぜか不思議と高鳴る自分の心臓の鼓動を聞いていた。涼しい夜風が荒野の乾いた草と土の匂いを運び、安らぎにも似た沈黙の中で男はそっと口を開く。

「さあ、なぜだろうな……俺はどうも1つの場所に長く留まることができなくてね」

 炎を眺めていた黒い目はどこか懐かしげに細められ、波乱万丈な過去がそこに浮かんでは消えているかのようだ。自身よりも遥かに長く生きているであろう彼の生い立ち、いつの日かその根幹を成すものを聞くことはできるだろうか。まだ謎の方が遥かに多いレオン・ブラッドリーの素性を、知りたいと思う気持ちは日毎強くなるばかりだというのに。
 なぜそんなにも彼について詳しく理解したいと思うのか、それは好奇心のせいばかりとは言い切れないような気もする。しかしレオンは彼女に何もかもを曝け出しはしないだろう。それがわかっているからこそ、彼の話は1度限りしか語られない伝説のように、シャンティの心の全てを惹きつけ虜にして止まないのだ。

「何かに飢えているのかもな。だがそれが満たされることがあればこの当てのない旅も終わる」
「え……?」

 好きで放浪しているのではないかと問いたげな娘の目に、ようやくそちらを向いた男は掠れた低い声で答える。

「もちろん気ままなその日暮らしも性には合ってるし悪かない。それでも馬で駆けていくことより惹かれるものがあるとすれば、それが俺の残りの人生全てを捧げるものになるのさ。俺はそれを探してるんだ――家を出た時からずっとな」

 シャンティにはとても知りえないほど多くの場所を旅してなお、未だ見つけることができないものとは一体何なのだろう。一介の娘には手に入らないような貴重なものなのか、あるいは誰もが持っているのに決して気づきはしないものか。いつかレオンが放浪の末にそれを見出す日が来るとして、もし……ほんの少しでもその助けとなることができるならば。

「……あなたを惹きつけるもの……」
「もしそんなものがこの世のどこかにあるとすればの話だがな。どうも目的と手段が逆になっちまったのは否めんがね」

 彫りの深い顔立ちの男はそう言うとコーヒーを飲み干す。今夜はずいぶんと話の終わりが来るのが早い気がしたが、この短い時間の中でシャンティは何を知り得ただろうか。だがきっとレオンの内面に触れることを許された数だけ、次に彼から聞かせてほしい話は増えているに違いない。

「今日はまたずいぶん冷えるな。俺のでよければかけて使いな」
「!」

 何週間か前と同じようにレオンは毛布を投げ渡す。しかし娘のブランケットは既に肩から背を覆っていて、受け取ったそれは彼自身が眠るために用いるべきものだ。

「で、でもそうしたら今度はあなたが――」
「俺のことならいい。どうも今夜は何が悪いんだかまだ寝付けそうにないんでね……しばらく牛でも見てくるさ」

 立ち上がったレオンの影を焚き火の炎が大地へと描く。男が去るのは早く、シャンティは独りその背を見送った。

“ミスター・ブラッドリー……”

 手にしたままの毛布からは陽射しの香りがほのかに漂う。果たしてこれをかけたところで眠ることなどできるのだろうか? 恐らく答えは否だろう。どんなに目を閉じたところで、まぶたの裏に浮かぶのは黒髪の彼に違いないのだから。
 冷たい夜をも温めてくれるレオンのさりげない優しさ、断る方が無粋なそれを受け取れることが酷く嬉しい。人生は長いとは言えど、彼のような相手にそう何度も巡り会えるとは思わない。その声で紡ぎ出される物語を聞けば心が弾むが、黒曜石にも似たレオンの双眸が彼女を見つめる時、鼓動が一際大きく跳ねることに娘は気がついている――それがどんな意味を持つのか、自分自身で思い当たる時はもうさほど遠くないはずだ。

「……ありがとう……」

 爆ぜる炎よりも更に小さな声で娘はそう呟く。そっとレオンの毛布を膝にかけるとシャンティは目を閉じたが、それは今まで触れた何よりもなお温かいように感じた。