そこは先住民たちが定住している集落によく似て、日干しレンガの家々が並ぶ小さくも素朴な町だった。だが住民たちはこれまでに通り過ぎてきた場所とは違い、旅人に好奇心はあれど排斥するような素振りはない。人々の外見はやはり荒野の民の血を引いているのか、濃い色の髪にはっきりとした目鼻立ちの者が多数だが、物を売りに来ている商人たちの姿もところどころ見え、場所の割には孤立した町でもないことを窺わせている。
「こんな時期に牛飼いがうちの町まで来るなんて珍しいねえ。立派な宿なんてないけど、寝泊まりする場所がほしいなら酒場のリタに聞いてみたらどう?」
洗濯場でおしゃべりに興じていた婦人たちにそう告げられ、シャンティはレオンと共に町の奥にあるサルーンを訪ねた。赤い顔料で店の意匠が土壁に施されたそこは、既に陽も落ちかけている時間帯のせいか中は薄暗い。店人がいくつかの蝋燭に火を灯し置いてはいるものの、その明かりはむしろ太古の洞窟を照らす松明のようだ。
「いらっしゃい。見ない顔ね」
火を点けたばかりの蝋燭の1つを燭台に戻しながら、切れ長の眸も印象的な美人が2人に問いかけた。酒場を営む女性というイメージから遠いその姿に、娘は少なからぬ驚きを覚えずにはいられなかったが、隣に立つ黒髪の男は特段動じもせず尋ねる。
「お前さんの察しの通り、ついさっきここに着いたばかりさ。牛と俺たちを1晩ばかり泊めちゃくれないかと思ってね」
「何人いるか知らないけど、5人までなら何とかなるわよ。牛は東の畑じゃなけりゃどこへ放してもらっても結構。狼も今の時期なら水が手に入らないから平気だし」
レオンより少しばかり歳下だろうサルーンの女主人、リタはそう言うとちらりと隣の麦わら帽子に目を向けた。
「言っておくけどうちは酒と寝床以外の手配はしてないの。あと1週間も南に行けば大きな街に出られるから、女を探して羽目を外すならそっちに行ってからにしてね」
「……?」
言われたことを理解できずきょとんとしているシャンティを他所に、女主人の勘違いに気づいた用心棒は笑い出す。そんなレオンに眉を顰め不審げな目を向けるリタの前で、男はおもむろに腕を伸ばし若い娘の帽子を取ると……。
「――あなた、女だったの!?」
「そういうことだ、こっちにもちょっとややこしい事情があってな。とにかくこのお姫さんの前で何かやらかすのは厳禁だ。そっちの心配はいらんよ」
シャンティは何が話されているのかにようやく思い至るが、ただ目を瞬き頬を染める以外のことなどできそうもない。その間にも年長者2人は早々に交渉を終えると、今夜の宿代として過不足のない金銭をやり取りする。1度外へ出た2人は残りの3人と牛を移動させ、馬車の幌を手頃な棒に括り付けて簡易な柵に変えた。乾燥した土地柄ながら町の周辺には水源もあり、今夜1晩はたっぷりと足を休めることができるだろう。
作業を終えた一行が空腹を抱えサルーンに戻ると、カウンターにはきちんと人数分の席が設けられている。リタは5人の姿を認めるとすぐに食事の皿を並べ、小さなショットグラスに1杯ずつ強い酒を注いでくれた。
「ここは元々先住民と物々交換をする場所でね」
他の客からの注文を作りながら女主人が語る。
「昔はここで見初められて、外の男と結婚した部族の娘もかなりいたみたい。そういう“発展的”なご先祖の子孫があたしたちってわけ」
料理は少量ずつではあったが品数が多く味もいい。供された酒も度数は高いが喉越しはさらりとしていて、昼夜の寒暖差が大きい土地だけに身も温めてくれる。
トレイルボスたるゴードンは疲れからかすぐ寝床に引き上げ、テッドとクライヴもしばし他の客と会話を交わしていたが、どちらもそう長く経たないうちに各々部屋へ退散した。レオンは元々こういった場所で酒を飲むのが趣味でもあり、まだしばらくは残るつもりで腰を据えているのが見て取れる。久々に落ち着いた時間を持つことのできたシャンティもまた、グラスを傾ける彼を気遣いその席を立とうとしていた。
「――お前さんはどうしてこの店を?」
しかしレオンがリタへ投げかけた問いかけへの答えが気になり、娘はグラスに残った水を飲み干すふりをしつつ留まる。そんな彼女の仕草など全く気に留めている様子もなく、女主人がその顔に浮かべた微笑みはなぜだか寂しい。
「元々は旦那がどうしてもって言って始めた店だったの。興味があると思ったらとにかく何にでも手を出しちゃうから、見よう見まねで自分でお酒なんかも造り始めちゃったりね。あたしは仕方がないから一緒に付き合ってただけだったけど、当の本人が死んじゃったから他に引き継ぐ人もいないし」
「だが未亡人独りで酒場を切り盛りするのも大変だろう? お前さんみたいな美人なら男も放っておかんだろうに」
「ふふ、この町で変な真似したらあの人が化けて出るわよ。あたしもあの人以外の男と添い遂げるつもりはないしね」
そう言うリタの指には銀の指輪が今でも嵌ったままだ。先住民の伝統に基づく青い石の輝くそれを、彼女が自ずから外す日はきっとこの先も来ないのだろう。
「旦那はいい男だったんだな。死んでなお女房から慕われる亭主なんぞ羨ましいぜ」
「……そうだといいけど。そう言えばあなたにちょっと似てたかもね、その目元の辺りが」
そこまで隣で聞いた後、娘は静かに場を後にした。
それは客に対する社交辞令の1つだったかもしれない。だがそんなことがどうしてこうもシャンティの胸に刺さるのだろう。傍から見れば切ない思い出に満ちた会話でしかないのに、なぜその一方がレオンなだけでこんなに苦しいのだろうか……。
「――で、何をする気だ?」
「!」
突如響いた男の声。ぎょっとして振り返った彼女は驚きのあまり声を上げる。
「ミ、ミスター・ブラッドリー!?」
「お姫さんの身に何かあれば俺は袋叩きに遭うんだぜ? 独りでいなくなったのがわかってるなら野放しにはできんよ」
席を立ったシャンティは確かに休む部屋へは向かわなかった。ほんの少しだけ外の風に吹かれて戻ろうと思ったのだ。この酒場には中からしか入れない安全なパティオがあり、彼女はそこの小さなベンチに座ってため息をついていた。庭に続く扉のある廊下はレオンからは見えないはずで、ましてやここへ行くつもりだなどと伝えたつもりもまるでない。シャンティは戸を開ける時も音を立ててはいなかったはずだし、おまけにそのすぐ手前には客室へ上がる階段まである。普通ならば他の3人のように部屋へ行ったと思うだろう――従って彼が外に来る理由など1つも思いつかない。
「酔いを覚ますなら付き合うが、休みたいならベッドに帰んな。しつこいようだが俺はあんたの用心棒として雇われた。あんたが何をしようとフォートヴィルまで目を離すつもりはない。あんたには窮屈だろうが、このくらいは覚悟しとくんだな」
嗜めるような声音でも、それすらなぜか嬉しく思える。どこか彼女をからかうかのように告げられた最後の言葉が、ついさっきまで痛んでいた胸に優しく沁みたからだろうか?
レオンはわざわざ席を立ち、後を追いかけて来てくれたのだ。こんなことはきっと契約には含まれないに違いないのに。
「……もう部屋に戻ります。黙って来てしまってすみません」
その声に喜びが滲み出ないようどれほど苦労したかは、ただ彼の後について中に入るシャンティだけが知っていた。