その声も、眸の色も、間違いなくレオンの知っているシャンティ・メイフィールドのものだ。だが彼女は砂のついたストローハットを載せてもいなければ、陽射しに対抗するための革のジャケットを羽織ってもいない。栗色の髪の上には小さなレース地の帽子を傾け、隠されていた身体の線を膝丈のドレスで明かしている。細身のジーンズに包まれていた脚はその白さも眩く、ブーツの代わりに上品なヒールが足元を彩っていた。

「あの……ミスター・ブラッドリー?」
「ん? あ、ああ。どうした?」

 男を見上げる娘の顔にはほのかな化粧が施され、元々整っていた目鼻立ちが一層華やかに見える。この淑女が自ら馬を駆り荒野で牛を追うと言っても、そんな戯言を信じる者など街には1人もいないだろう。レオン自身ですら全く違う相手を見ている気さえする……彼女とはもう数週間に渡り共に旅をしているのに。

「やっぱり変でしょうか? こんなドレスを着るのは初めてなので自分ではよくわからな――」
「違う」

 ただ呆然と見つめることしかできずにいた彼の反応に、シャンティはおかしなところでもあったのかと訝しんだのだろう。何も賛美を期待していたというわけではなかっただろうが、黙りこくって凝視されていれば不安になるのも当然だ。即座に否定はしたものの、頼りなげに眉を寄せた表情は確かに馴染みあるもので、彼女が自分の知る人物であることにレオンは安堵する。
 しかし馬上ではコルセットに押さえられていた豊かな胸や、シャツの下に秘められていたなめらかな背中が目に入る度、彼は人知れず感嘆のため息を零さずにはいられない。垢抜けなくも美しい娘であることは知っていたものの、共に寝起きする中で忘れかけていたその事実を突然――それもこれ以上ない効果的な方法で思い知らされる。一緒に南へ旅をしてきた5人の中には女がいた。男でさえ臆してしまうような牛追いの一行の中に、こんなにも女らしい娘がすぐ隣に1人いたのだと。

「今夜あんたよりも綺麗な女なんてこの街にはいないさ。さあ、お姫さんの可愛い顔を見せつけてやりに行こうぜ」
「!」

 シャンティは頬紅の意味がないほどに顔を赤くしたものの、すぐに口元をほころばせるとあの優しい笑顔を浮かべる。だがそれが今まで目にしてきたものとは微妙に違うことを、どきりと鳴った男の心臓は敏感に感じ取っていた。

「それじゃあ準備はもういいな?」
「はい。ホールへ行きましょう」

 差し出した腕に重なる指の感触にレオンははっとする。つい数時間前も彼女の手をしっかり握ったというのに、あの時と今とでは一体何が違っていると言うのだろう。少なくともこんな風に胸をかき乱されるような想いは、本当にほんの少し前までは決してなかったはずなのだ。

“くそ……これはあの男顔負けの牧場のお姫さんだぞ? ちょっとくらい服が違うだけで俺はどうしちまったってんだ”

 街に篝火が燃える中、シャンティの存在だけが周囲から浮き出ているように見える。それは嘘や誇張ではなく、アレンカードの煌びやかな人々の只中にあってもなお、小粋なドレスに身を包んだ彼女が見劣りすることはない。もちろんその隣を歩いていく黒髪の男も然りだ。舞踏会の開かれるダンスホールの入り口に着いてからも、そこに集まった人々は2人に目を留めずにはいられない。客を選ぶ権利を認められた名高い施設の長でさえ、その手で自ら扉を開いて今日の主役を迎え入れる。この夏1番の大会を見事に制したロデオの名手、レオン・ブラッドリーとそのパートナーである美しい淑女を。

「ようこそおいで下さいました。当ホールはお2人のお越しを心から歓迎いたします」

 恭しく一礼した係の者が細いグラスを渡す。小さな泡が無数に立ち上る金色の液体は甘く、夢のような時間の始まりを告げるにはこよなく相応しい。早々にそれを空にした男は隣の娘を見やると、周囲を見回し気後れした様子の彼女からグラスを取り、まだ半分あまり残っていたそれもさっと飲み干してしまう。

「ミ、ミスター・ブラッドリー!?」
「次の曲が始まっちまう。まずはお手並み拝見といこう」

 レオンはあらゆる種類の酒を昔から好んで嗜むが、元々強い体質だからかそれに酔うことはほとんどない。気の抜けない独り旅をしている以上は身の危険も多く、いざという時のために深酒をしない主義なのもあるだろう。しかし瓶を何本も空けたところで違いはなかったことは、若かりし頃の彼自身が既に何度か証明している。だからこそこんなにも落ち着かない気分の原因は1つだ――そう、今この時も手に手を携え向かい合う雇い主。

「……なあ、気づいてるか? みんなあんたばかり見てるぜ」

 絶妙なリードを加えながらもレオンは低い声で告げる。あちこちから注がれる視線は常に2人の身に絡みつき、それは男としての自尊心を擽ってくれはするものの、彼の胸中は不思議と逆の感情に占められつつあった。
 シャンティが回る度にドレスの裾へと集まるまなざしには、もう少し節操を持てと思わず忠告したくなるほどだ。どんな美女とダンスをしてもそんな思いを抱いたことはなく、吐息が触れ合う距離で腰に腕を回すこともよくあったが、なぜか彼女に対してはこれまでと同じように振る舞えない。その身を支える以外の目的でシャンティに手を触れるなど、とても看過できない禁断の行為のようにも思えてくる。
 だがもしそれを許される相手が今夜この場にいるとすれば、それは他の誰でもなくただ1人レオンのみであってほしい。ダンスホールにひしめくうちの誰が彼女に声をかけようと、それがどんなに心弾ませる洒脱な手練手管だろうと、シャンティには彼以外の誰の誘いも受けてほしくなかった。彼女が今宵その手を携えて踊る相手はレオンだけだ。なぜなら今夜シャンティは彼のためだけにここにいるのだから。

「ミスター・ブラッドリーはロデオだけでなく口もお上手ですね。でも私ではなくてあなたのことを見ているんですよ、ほら」

 薄く色づいた彼女の唇がどこか切ない弧を描き、鳶色の眸がちらりとフロアの隅の人だかりを示す。そこにはシャンティと同じ歳頃の娘たちが並んでいて、伝説的なロデオ乗りを目を輝かせながら見つめていた。平素のレオンであればそんなまなざしに気づかぬはずもないが、指摘されてからようやくそれを認識したことに面食らう。どう考えても今夜の自分がまともであるとは思えない。
 しかし娘はそんな彼の様子には全く気づかないまま、再び視線を相手に戻すと予想外の言葉を告げた。

「この曲が終わったら私はそこのデッキで待っていますから、ミスター・ブラッドリーは他の方とダンスをしてあげてください。きっとそれを楽しみにしてこんなにたくさん――」
「嫌だね」
「え?」

 頭で考えるよりも早く口に出ていた否定の返事。その答えを導いたのは久しく覚えのなかった衝動。

「お姫さん、俺は今夜あんたに付き合ってほしいと言ったんだ。他人と踊るつもりがあるなんて考えてもらっちゃ困るぜ」
「……!」

 身勝手なレオンの物言いにシャンティは驚き目を瞬く。だが次に向けられた柔らかい微笑みが彼を捉えた時、男は一瞬息をすることさえ忘れて彼女に魅入った。どんな姿をしていても変わらぬシャンティの素朴な本質、彼の琴線に触れたそれにある可能性を垣間見たのだ。
 その考えはあくまでも無数の選択肢の1つに過ぎず、これまでのレオンであれば気のせいだと黙殺していただろう。しかし夜空から降り注ぐ流れ星めいた彼の直感は、長らく求めてきた答えがこの先にあることを告げていた。