「おっと、妙な勘違いをしてもらったら困るぜブラッドリー。俺はライアンに顔向けできねえようなことはしてねえからな」

 テッドは元々レオンと同じく放浪者だった過去を持ち、サリーが来るより前からライアンと働いていたゴードンや、幼い頃に引き取られ育てられていたクライヴとは違う。だがある日方角を間違え行き倒れになっていたところを、偶然通りがかったメイフィールド夫妻が見つけた時から、彼は流浪の生活に別れを告げ牧場に根を下ろした。そこに単なる恩義以上の感情が存在したところで、テッドが雇い主を裏切るような素振りを見せたことはなく、忠実なカウボーイでい続けているのは誰もが知っている。

「その頃にはもううちの牧場もけっこうでっかくなっててな、俺みたいな奴でも頭数として必要とされてたのさ。それにライアンは男から見ても憧れちまうすげえ奴だ。一緒に働けるのがここまで誇らしいと思えたのなんて、どんなに思い返してみても後にも先にもあいつだけだな」

 シャンティの父ライアンは稀に見る懐の広い男で、揺るぎない大地を思わせる何かをその心に持っていた。かつてのテッドは雇い主に苦い嫉妬を味わいながらも、完敗に近い清々しさをも同時に覚えていたものだ。もし彼が妻を省みることのない暴君であったならば、サリーを攫って逃げるという選択もあったかもしれないが、ライアンはテッドがかく在りたいと願う理想そのものだった。いかに強く惹かれていても、自身でさえ憧れてしまう相手と結ばれているのならば、それ以上に彼女を幸せにできる道などあっただろうか?
 夫を見つめるサリーの眸は愛情に満ちあふれていて、彼女の幸福を願えばこそ見護るだけで満足だった。ライアンはいつからかテッドの想いに気づいていたのだろうが、それでいて何も言わずにいてくれたことは感謝を禁じ得ない。彼を咎めるわけでもなく、かと言って憐れむわけでもなく。それまでと変わらない態度を保つのがいかに難しいかは、何も同じ状況に陥らずとも十分想像がつく。
 しかしライアンはテッドが牧場にいることを許してくれた。彼なりに思うところはきっといくつもあったに違いないが、ライアンは信じてくれたのだ――最愛の妻たるサリーと、その頃にはもはや友人と言ってもよかったテッドのことを。

「俺はライアンのことも好きなんだぜ、サリーと同じくらいな」
「だがあんたはそれでよかったのか? お袋さんに何も言わずに……」
「ブラッドリーよう、俺はな、惚れた女にはこの世の誰より幸せでいてほしいんだよ。そうしてやれるのが俺じゃねえ別の奴ならそれでもいいんだ。そんな風に思わせてくれたのは人生で1人だけだった」

 望みがないのに近くにいるのは時として残酷なことだ。だが彼の唯一の望みはサリーが幸せに生きることで、彼女が愛する夫や娘とそれを叶えていたのならば、報われぬ恋の苦しみも昇華されていたのは事実だった。そんな想い人の記憶はあまりにも突然の別れを経て、なお彼の心に深く刻まれ今も輝き続けている……まるで天上の星のように。

「ライアンも死んじまったしな、もう辞めるかとも思ったけどよ。2人が可愛がってた忘れ形見のお嬢が残ってるだろう。それも若いし、綺麗だし、物分かりもいいが危なっかしい」

 そこまで言うとテッドはグラスに残った酒を一気に呷り、一息つくといつもと同じにこやかな笑みを浮かべ続けた。

「お嬢の行く末を見届けねえとおちおち旅にも出られねえ。俺が安心してまた独りでそこらをふらふらするためにも、お嬢には絶対に幸せになってもらわねえと困るんだ」
「ならあんたがしてやればいいだろう。何か問題でもあるってのか?」
「お、俺がお嬢を!? おい、ブラッドリー! 冗談言うない」

 レオンはふと心に浮かんだ疑問をそのまま口に出したが、彼もシャンティに惚れている以上本気で言ったわけではない。しかし相手は考えるだけでバチが当たると言わんばかりに、ぎょっとして首を横に振りながら用心棒に説明する。

「あんまり距離が近いとな、逆に手なんか出せねえってもんさ。ゴードンもクライヴもそうだ。自分がお嬢をどうにかしようなんて端から思っちゃいねえ」

 それを聞いてレオンはどこかでほっとしている自分を感じた。実に現金な話だが、想い人を争う恋敵は少ないに越したことはない。しかしシャンティを護る3人の男たちは依然手強く、彼女の心を求める者が乗り越えるべき試練は多い。

「まだわからねえかもしれねえが、長く一緒にいりゃお嬢は護らなきゃいけねえって気づくんだ。もちろんお嬢はああ見えて頑固だし気も強え方なんだが、何て言やあいいんだろうな、とにかく大事なお嬢なんだよ」
「……確かにそうかもな」

 そう呟いた黒髪の男は更にグラスを傾けたが、もしかするとレオンは最初からそれに気づいていたのだろうか。護りたいと思うのは彼女にその力がないからではなく、自分にとって何よりも大切な相手だからということを。

「なあ、アレンカードみてえなとんでもなくでかい都会でもよ、お嬢より綺麗な女なんてそうそう見つかりゃしなかったろう。だからこそバロウズみてえな野郎も出てきちまうってもんだが、俺たちの目に適わなけりゃお嬢には指1本触れさせねえ」

 突然身を乗り出してそう言ったテッドはちらりと横を見る。その視線と言葉に含むものがあるのはあからさまなほどだ。

「つまり……その警告は俺に対しても有効ってことか?」
「お嬢にそういう意味での興味があるなら答えはイエスだな」

 答えは間髪入れずに返り男は思わず舌を巻いた。最も鷹揚に見えても、生半可な相手にシャンティを託す気がない点においては、この牧童もまた血の気の多い残りの2人と変わらない。そしてその厳しいまなざしは用心棒にも向けられていて、いかに腕が立とうとも下心を露わにするつもりならば、容赦はしないというメッセージは彼も当然理解できる。

「忠告は頂戴しとくが、俺もそこまで馬鹿じゃないんでね。残念ながら住む世界の違う相手に手を出したりせんよ」
「あんたがそう言うならいいが、今言った言葉を忘れるなよ。男の言う無関心の当てにならなさはよく知ってるからな」

 テッドは笑って茶化したが、眼鏡越しの眸は冷静にレオンの挙動を見つめていた。
 シャンティ・メイフィールドが旅を苦にしない性質たちであったとしても、彼女はその生まれ育ちから居を定める方を好むだろう。かたやレオン・ブラッドリーは生来強い冒険心を持ち、これまでの人生でも1つの場所に長くいた試しがない。だがそんな彼をしてなお留まりたいと思わせるに足るもの、無限の荒野よりも強く自身を繋ぎ止められる何かを、レオンは確かにシャンティと過ごす日々の中で感じつつある。彼女以外の誰1人としてここまでその心を惹きつけ、目を逸らすこともできないほどの魅力を持つ者はいなかった。肉体の飢えからではなく、魂の飢えが求める相手はシャンティが最初で最後だ。

「まあ俺はこうしてあらかじめ警告してやるだけまだましさ。これがゴードンになってみろ、言うより先にぶっ飛ばされるぜ。雄牛もぶちのめす一撃を食らったらあんたとてお手上げだ」

 今度こそ普段通りの様子に戻ったところを見る限り、テッドはレオンの本心を見透せたわけではなかったらしい。内心で安堵しながらも、酒場を後にして満天の星空を仰ぐ男は思う。離れても彼の行く先を照らしてくれる者がいるとすれば、それはやはり星の輝きを目に宿したあの娘だけだと。