アレンカードへ連なる大地からフォートヴィルを擁するものへ、その河はそれを境に南北2つの地方を分けている。ここを過ぎれば目的地までは残りひと月を切るにしても、そこが噂に違わぬ黄金郷である保証はどこにもない。常につきまとう不安が完全に消えることはないだろうが、まずはそこへ辿り着かなければ何も始まりはしないだろう。悩み、遠回りをしても、自分の心を信じ、自らの手で道を切り拓かねば、本当の意味で何かを手に入れることなどできないのだから。

“……そう、もうこの長すぎる旅を終わらせてもいい頃だもの”

 シャンティは自身を鼓舞するように深呼吸して顔を上げる。全ての終わりはほど近く、レオンともそこでお別れだ。あるいは今の状態ではそこまで保たない可能性もある。既に前金では賄いきれないほどの借りがあるのだから、彼がある日突然姿を消しても非難などできはしない。そして1度その背を見送ればもう2度と逢えはしないだろう。
 しかしそれを考える時、彼女の胸には杭を打たれるような鋭い痛みが走る。もはや早く離れた方がいいと誰もが言うだろう今でも、魂を染め直してしまうほど深くまで根づいた慕情を、そう簡単に捨て去ることなど一体誰ができるだろうか? ますます辛くなるだけだと理屈ははっきりと告げているのに、それでもレオンの姿をどんな時も目で追わずにいられない。もうその黒い眸がこちらを向きはしないとわかっていても、彼を愛するシャンティの想いが消えることはついぞなかった。

「お前たちも暑かっただろう。ここらで楽しく水浴びだ」

 それは酷く蒸した暑い日、正午を過ぎてしばらくの頃。ついに河までやって来た一行はその前夜に決めた通り、テッドが先頭に立って牛を渡し、向こう岸の群れを見る。レオンとクライヴは河の半ばで家畜の流れを誘導し、シャンティはゴードンと共に牛や馬を水辺へと渡すのだ。この数日間は天候に恵まれていたことも幸いし、予想していたよりも短い時間で河を越えられるだろう。

「さあ、どんどん向こうへ行きな」

 それから半刻もしただろうか。あちらこちらで牛たちののんびりとした鳴き声が響く中、渡河は順調に進んでいた。河向こうには夏草が生い茂り、食糧にも困らない。鉱山地であるフォートヴィルに近づくにつれ土地は痩せていき、家畜の餌も不足するであろうという予想がつくからこそ、青草と水がある場所では補給させてやるのが大切だ。そういう意味ではこの河辺はまさにうってつけの立地であり、一行が先へ進むための準備をするには恵まれている。
 ――だが渡河を控える牛たちの群れも残り僅かとなった時、悪夢は突然訪れた。

「……?」

 微かに感じた地鳴りはすぐにはっきりとしたものへと変わり、辺りを見回せば後方に広がっている青い空の下、一筋の砂煙が不自然に立ち昇っているのが見える。それが一体何であるのかに思い至るよりもなお早く、地平線に現れた小さな影は瞬く間に接近し、銃を手にした馬上の悪漢たちへその姿を変えたのだ。

「ついにここまで来やがったか」

 ゴードンが低く唸れば最初の銃声が荒野を切り裂く。決して先住民たちではないならず者のその一団は、野蛮な声を上げながら真っ直ぐ5人の元へ向かっていて、シャンティは恐怖のあまり瞬きをすることさえできなかった。そんな彼女の様子など目で見るまでもなくわかっているのか、老いた牧童頭はひび割れた太い指を河へと向けた。

「小娘、命が惜しけりゃあの若造のところまで行きやがれ。あいつは死んでもお前を護る」
「ゴードン、でも――」
「行け、今すぐ!」

 ゴードンは馬を降りるや否やシャンティの元へと走り寄り、彼女を背に乗せまごついているミルキーウェイの尻を叩く。馬は驚いて飛び跳ねながらも何とか河へと飛び込むが、乗り手はただその鬣にしがみついていることしかできない。シャンティの後を追うように次々と銃声が鳴り響くも、振り向いて出処を確かめるような真似はどだい不可能だ。しかし悪漢たちがただの野党の類でないということは、瞑られた目を開くまでもなく彼ら自身が教えてくれる。

「お、いたぞ! あの女だ!」
「他の奴らはいくら撃ってもいいがあの女には当てるなよ。傷もんにすればボスに頭をぶち抜かれるだけじゃすまねえぞ」
「捕まえて生かして連れ帰れ、他の奴らはあの世行きでもな!」

 下碑た笑い声に混じり遠くから聞こえてきたその言葉は、男たちがアラステアの息がかかった配下だと告げていた。どんなに遠くまで逃げても悪夢は終わってはいなかったのだ。刃物のようにぎらつくその男の灰色の目を思い出し、娘の背中を冷たい汗がひやりと一筋流れ落ちる。それでもここで膝を屈しアラステアのものになるくらいなら、最初からキャトルドライブに出ようなどとは思わなかっただろう。
 どんな苦境に陥っても、自分から諦めてはならない――まだやらねばならないことがある。

“お父さん、お母さん……お願い、私たちを護って!”

 そう強く念じながら開いた鳶色の眸が見たものは、構えた得物から何発も火を吹く用心棒の姿だ。襲撃の前までは向こう岸の近くにいたはずのレオンは、馬に跨ってなお膝まで水に浸けて彼女へ手を伸ばす。

「――来い!」

 その声を聞いたシャンティは無我夢中で自身の腕を伸ばし、次の瞬間には強く引き寄せられ彼の馬の上にいた。黒馬はまるで主人の意思を汲み取ってでもいるかのように、手綱を握られずとも素早くフォートヴィル側の岸へ戻る。いかに敏捷な動物であっても水中では不利な以上、距離を取らねばレオンとて敵の狙い撃ちから逃れられない。

「あんたはしっかり掴まってろ。絶対にこの鞍を離すなよ」

 娘は言われるがままに目の前の鞍のホーンを掴んだが、すぐ傍では流れ弾を受けた牛が悲鳴を上げて倒れる。マースローは縦横無尽に駆けつつ銃弾を避けるものの、これだけの銃撃戦ともなればとても無傷ではいられない。振り落とされそうなシャンティは必死に鞍にしがみつきながら、酷く揺れる視界の中でただ1人残るゴードンを探す。

「……!」

 襲いかかってきた男たちは10人程度はいただろうか。到底老牧童頭1人で捌ききれる数ではない。だがゴードンは自らも銃を抜き敵と相対しながらも、何とか1頭でも多くの牛を渡そうと時間を稼ぐ。自身の命を燃やして護る牛たちの1頭1頭が、シャンティの未来を拓くための大切な金へ変わることを、年老いた牧童頭は誰よりもよく知り抜いているのだ。

「だめ……ゴードン、逃げて!」
「こっちに来るなよブラッドリー! てめえはシャンティを護りやがれ!」
「ああ、言われなくともわかってる!」

 身を乗り出す彼女を諌めるようにゴードンが声を張り上げ、用心棒は弾の切れた銃を持ち替えながら返事をする。愛馬を操りながら的確に放たれる彼の銃弾は、1人また1人と確実に相手の数を減らしてはいるが、容易な戦いではないことは火を見るよりも明らかだった。他の2人もそれぞれ迫り来る敵に応戦している今、護るべきものを抱えているレオンは向こう岸には行けない。彼は力を尽くして劣勢を打開しようと試みたが、シャンティの涙に濡れた眸がその時映し出したものは――。

「――ゴードン!!」

 1発、2発……そして腹部へ続けざまに3発、銃弾を受けた老牧童の身体は紅い血の弧を描き、まるで時間が鈍化したようにゆっくり水中へ落ちていく。一瞬の後に響き渡った女牧場主の叫びは、乱戦が続く最中とて誰の耳にもはっきりと届いた。