「嫌あああ!!」
「手を離すんじゃない!」

 飛び降りようとするシャンティをレオンが抱え込んで引き戻す。彼女の頬にはいつしか流れ弾が掠めた傷があったが、滲んだ血すらも零れ落ちる涙に流されてしまっていた。

「お願い、どうか助けてください! このままにしていたらゴードンが――」
「落ち着け、この程度じゃ死なん!」

 半狂乱で泣き叫ぶシャンティを落とさぬように抱きかかえ、用心棒は敵から視線を外さずに語気も荒く告げる。相手の数はもう半分も残っていないだろうという今、次に弾倉が空になった時は勝負がついているはずだ。
 自分の前で泣いていたら慰めてやれるという考えは、どうしようもなく愚かなものだったと思わずにはいられない。その右手は銃で塞がれ、左手は彼女を抱えている。今のレオンにはシャンティの涙を拭うための腕が足りず、河に沈んだ牧童頭を救うための身体も足りない。愛する女が目の前でこんなにも悲嘆に暮れているのに、彼はただならず者へと引き金を引くことしかできずにいた。
 やはり他人を護るなど自分の柄ではなかったのだろうか? しかしシャンティだけは何があろうとも渡すわけにはいかない。ゴードンの渾身の請願を裏切る真似をするくらいなら、誇りを地に捨ててでも彼女を連れて逃げる方がまだましだ。シャンティを護ることはもはやレオンに託されているのだから。

「いいか、よく聞けお姫さん。あんたの大事な父親代わりはここで死ぬようなたまじゃない」
「でも……!」
「こいつら全員片付けたら必ずあいつも助けてみせる!」

 吠えるように告げた言葉は、計らずも彼の本心だった。偏屈ではあるが熟練の腕を持つ老いたカウボーイへは、いつしかレオン自身も敬意を覚えるようになっていたのだ。
 さりとて駆けつけたくとも彼女を護れないのなら意味がない。あとは残された時間との、ゴードンの生命との勝負だ。一刻も早く敵を倒し牧童頭を助けなければ。相手に撃たれた場所が急所を外れていることを祈りつつ、レオンは自身の銃をたった1人残った敵へと構える。

「お姫さん、あいつを信じろ。あいつはこんなところであんたを遺して逝く奴じゃないだろう!」

 ――そして彼が弾倉に残る最後の弾を使い切った時、アラステアの一味でその場に立っている者はもういなかった。

「ゴードン!」

 今度こそレオンが止めるよりも早くシャンティは地へ飛び降り、一足先にゴードンを引き上げたテッドの元へ駆けていく。用心棒は辺りに斃れている家畜たちの死骸を避け、自らもマースローの背から降り足早にその後を追った……彼女がすり抜けていった腕の中に寂しさを感じながら。

「お嬢、意識はねえが――脈は止まってねえ、まだ息がある!」
「ああ……!」

 まるでそうすれば父親代わりの彼がすぐにでも起き上がり、こんなところでめそめそするなと叱ってでもくれるかのように、シャンティはゴードンの手を握り何度もその名を呼び続ける。そこへ幌馬車から薬箱を取ってきたクライヴも駆けつけ、3人は沈痛な面持ちのまま急いで手当てを始めた。
 だが彼女を慰めるのはまたしてもレオンの役目ではない。彼は悪漢たちが力尽きていることを確認しながら、運悪く死に切れなかった男を見つけるとその場に屈み、小さくも激情を押し殺した声で相手を尋問する。

「あのクソ野郎はどこにいる? あいつの居場所を吐いてもらうぜ」

 レオンの黒い目は先住民の使う鏃めいて鋭く、氷のように冷え切った視線には同情など見当たらない。ぐったりとした男はほんの一瞬怯えた顔を見せたが、すぐに血まみれの唇を皮肉げに歪めながらこう言った。

「はは……言うまでもねえ、お前たちのすぐ近くにいるさ。せいぜい後ろに気をつけな。ボスは……てめえも殺す気だ」
「何?」
「このままフォートヴィルまで無事に着けるなんてゆめゆめ思うなよ。せいぜい怯えて過ごせ……余計なことに首を突っ込んだことを、後悔しながらな」

 そしてアラステアの手下は既に虚ろな目をさまよわせつつ、最後の力を振り絞り呪いのような言葉を紡ぎ出す。

「ボスは楽しみに待ってるぜ……あの女をものにする日を」

 そこで事切れた男は最後まで薄笑いを浮かべていて、用心棒はやるせない憤りを抱え拳を握った。

「……あの野郎……!」

 アラステア・バロウズはただの悪人の枠には収まらない。しかし自分の配下でさえ虫ケラのごとく扱う様には、善や悪の判断を超えて誰もが嫌悪を覚えるだろう。そんな男がじっくりと腰を据えて追い詰めているだけでも、彼にとってシャンティがいかに大切なのかはわかろうものだ。
 だからこそ相手をこのまま見過ごすことなど決してあり得ず、アラステアはフォートヴィルに辿り着くまでのどこかでもう1度――恐らくは今度こそ自ら彼女を奪い取りに来るだろう。そしてシャンティの傍にレオンがいるのも折り込み済みであれば、お互いの命を懸けて対峙する日はもはやそう遠くない。

「ゴードン!」

 その時、呼びかけを続けていた娘の声の色が変わった。3人の顔に安堵が広がるのを認めた用心棒は、急ぎ彼らの元へ戻りゴードンが目を開けるのを見守る。

「ゴードン、俺たちがわかるか?」

 心配げな顔でクライヴが呟くようにそっと尋ねると、老牧童は白髪の太い眉を顰め嗄れ声で言った。

「決まって……るだろ……この、馬鹿野郎……」
「ゴードン、ゴードンしっかりして!」
「ギャアギャア……喚くな、小娘……まだくたばっちゃ、いねえよ」

 そこで強く咳き込む彼の包帯はじんわりと紅く染まる。そんなゴードンの手を握るシャンティは涙を零しながらも、自分がここにいると告げるようにその目を逸らそうとはしない。
 あと何度こんな思いをすれば彼女は解放されるのだろう。幸せな生活を営んでいたはずの牧場から追われ、頼れる親や身内もなく、住み慣れた故郷さえも離れて未知の荒野を進む毎日。心を許せる数少ない仲間さえもこうやって傷つき、道半ばで失う可能性さえ決して低くはない中、本当の意味で安らげる居場所などシャンティは持っていない。それがまだ22歳の彼女にとっていかに過酷なのかは、傍にいればわざわざ考えるまでもなくすぐにわかることだ。
 微笑みの奥に秘められた傷を癒せる存在になりたい。生まれてから死ぬまでにめぐり会う全ての人物の中から、たった1人だけに捧ぐ想いで彼女の全てを包みたい。そんな願いはレオンの腕を細い肩へと伸ばさせかけるが、最後に残る理性はまだ終わりではないと忠告していた。

「お姫さん、気持ちはわかるがここにいるわけにもいかんだろう……生憎、俺たちは医者じゃない」

 夏場の日は長いとはいえ夜ともなれば急激に冷えこみ、こんな血の匂いは飢えた獣をおびき寄せてしまいかねない。何よりゴードンの傷は応急手当ての範囲を超えていて、早急に医者に診せなければ致命傷になってしまうだろう。意識こそ保ってはいても重傷であることに変わりはなく、感染症に罹りでもすれば死の危険は格段に上がる。

「……ええ、そうですね。河を渡った先ですぐに町が見つかるとも限りませんし、牛をまとめたら行きましょう。立ち止まっていたらそれこそきっとゴードンが怒るでしょうから」

 そう言ったシャンティはネッカチーフで手早く涙を拭うと、河を渡り散らばった家畜を呼び集め再び旅立った。
 一行は無言のまま夜を徹して先に進み続けたが、翌日の陽が薄っすらと東の空に顔を覗かせる頃、彼らはまだ篝火が灯る街を南の彼方に見つける。仲間の命を救い得る、小さくも力強い光を。