早朝に起こされた医者は寝ぼけ眼を擦っていたものの、ゴードンを見るや否やすぐ適切な対応を取ってくれた。街が活動を開始する頃には一通りの処置も終わり、他の4人の怪我にもそれぞれ薬や湿布が貼られている。
「……命は助かったんだ。お嬢、そんなに落ち込むない」
眠る牧童頭を見つめるシャンティにテッドがそう言うが、振り向いた彼女はまたしても空元気でしかない表情だ。全ての災難は自分が招いたものだと自らを責める、そんな娘に一体何と声をかけてやればいいのだろう? それは長年苦楽を共にしてきたクライヴたちにとっても、おいそれと言葉にできるほど容易に思いつくものではない。レオンも声をかけられぬ時点でその例外ではなかったが、それでもシャンティのそんな姿を最も見たくなかったのは、家族同然のカウボーイよりもきっと彼だったことだろう。
「テディ、そんなに心配しないでも私のことは大丈夫。でも――」
彼女はそこで迷いも露わに一瞬言葉を切ったものの、申し訳なさそうに眉を寄せながら小さな声で尋ねる。
「少しだけ外の空気を吸ってから戻ってきても構わない?」
僅かな間だけでも独りになりたいというその懇願を、今この場で咎められる者など誰1人としていなかった。昨日の今日で再び襲われる可能性もないではないが、窓の向こうに広がる街は傍目にもよく整備されている。通りを行き交う女子供の姿も多く見えている今、シャンティがほんのひと時外に出ても危険だとは思えない。
むしろ引き留める方が彼女の心を蝕んでしまうなら、男たちはただ沈黙を許可に変えることしかできなかった。
「……ありがとう……」
3人はシャンティが静かに出て行ったドアを眺めていたが、足音が聞こえなくなるとため息をつきお互いを見回す。このままゴードンを連れて旅を続けるのはもはや無理だろう。かと言ってここで終わりにすることも不可能だと言うのならば、残りの4人で引き続きフォートヴィルを目指して行くしかない。経験豊富な仲間の離脱が与える影響は大きく、人手の足りない一行にとっては苦渋の決断だったが、背に腹は変えられないのならば腹を括るしかないのだから。
しかし女牧場主はゴードンの穴を独りで埋めんと、これからますます自身を酷使するであろうことは明白だ。そのままにしておけば彼女自身が潰れてしまう日も近い。アラステアの興味を惹いたのはシャンティの落ち度ではないのに、今や彼女は冷静さを失い自分を責めてばかりいる。
このまま放ってはおけない。こんな状態が続けばシャンティはきっとすぐ壊れてしまう。誰かが気づかせてやらねば――彼女は独りではないのだと。それを他の2人がこの状況でもまだしないと言うのなら、レオンにはこれ以上機会を待つ理由などどこにもなかった。
「――おい、ブラッドリー!?」
テッドとクライヴが気づいた時には彼の姿は消えていて、知らずのうちに早くなる足は愛した女の気配を追う。病院から1歩外に出れば街は陽射しの下で賑わい、すぐ傍の広場に立つ市では楽しげな会話も聞こえるが、今ばかりはそんな場所にシャンティの姿が見えるわけもない。眩い太陽の光に被った帽子のひさしを下げつつ、レオンの黒い眸は用心深く見慣れた相手を探す。
“遠くには行ってないはずだ。お姫さんもそこまで馬鹿じゃない……”
アレンカードとは比べ物にならない小さな街だとしても、昼間の賑わいの中で人を探すのはそう容易ではない。さりとて端から端まで歩き回る余裕などないのならば、雑踏に消えた背中を見つける手がかりはきっとあるはずだ。
“正念場だぜ、考えろ。お姫さんはこんな時どうする?”
日頃は傷ついた姿を見せぬように努力している者も、自分を取り繕えないほどの大きなショックを受けたならば、果たして完全な孤独に耐えることなどでき得るのだろうか? 歩く速度は緩めぬまま、彼は女牧場主と共に過ごした日々を思い返す。全くの他人に無防備な心を預けようとは思わず、それでいて旅の仲間たちには弱味を見せまいとするならば、シャンティが縋れる相手は――。
“……ああ、その手があった!”
答えに思い至ったレオンはすぐに来た道を取って返し、街の入り口にもほど近い旅人用の厩舎へと急ぐ。この長旅を初めた頃、焚き火を囲んで他愛ない話をした時に娘は言った。その仔馬は母馬の難産故に命を危ぶまれたが、自ら取り上げ名を授けた初めての馬であったことから、あたかも自分の分身のような絆を感じているのだと。
賢い馬は人を選び、主人とも強く結ばれている。用心棒とその相棒たる漆黒の馬も例に漏れず、優れた乗り手は皆それぞれのパートナーを持っているものだ。決して人間たちの言葉を口にすることはないとしても、馬は時として誰よりも主人の心を理解してくれる。それを感じているからこそ、黒髪の男は帽子も背に落ちたまま厩へと走った。
散々傷つけておきながらまだ彼女を慰めたいなどと、誰が聞いても虫の良すぎる話だと嘲り嗤うだろう。シャンティを見つけ出してもどう声をかければいいかわからない。それでも窒息しそうな時間をただ緩慢と過ごすならば、彼女を押し潰そうとしている重圧の捌け口になりたい。自分を見失ってしまうほどに愛して惚れ込んだ女が、目の前でここまで弱っているのに支えられないくらいなら、端から彼女の人生に関わるべきではなかったのだから。
だが彼は望んでしまった。シャンティを心から愛し、どんなことからも護り抜き、いかなる時も彼女を抱きしめ寄り添う権利を与えられた、他の誰も代わりなどいない唯一の存在になりたいと。
「!」
朝の世話の時間は終わり、昼の手入れにはまだ早い厩舎の中に人影は見えない。それでもそこの1番奥、額に白い斑点を持った栗毛の馬の馬房の前に、ひっそりと立つ人物が誰なのかはレオンもすぐにわかった。引き戸を開けた音で馬たちがにわかに脚を踏み鳴らしたが、はっと顔を上げたシャンティは彼に気づくとすぐに背を向ける。
それは無言のうちに立ち去ってくれという意味だっただろうし、レオンならばその意を汲んでくれるはずだと信じていたのだろう。しかし一瞬だけ見えた彼女の頬を濡らしていた涙は、男の胸いっぱいに満ちていた深い想いをあふれさせる、最後の1滴となるには十分な力を持っていたのだ。レオンは零れ落ちてなお止め処なく湧き上がる愛しさのまま、馬たちが見つめる中で真っ直ぐシャンティの元へ歩みより、そして――。
「……!!」
その肩が跳ねたことを知りながらも強く彼女を抱きしめた。
こんなに追い詰めてしまったことは後悔してもしきれないが、くだらない嫉妬や卑屈な臆病さを振り切ったこの日から、もう2度とこんな愚かで苦しいあやまちなど繰り返さない。シャンティこそがずっと探し求めていたものだと気づいた今、彼女を愛する想いは何より強く男を突き動かす。
自分を認めてほしい、その手を伸ばす先に求めてほしい――ただ1人シャンティが愛し、彼女が心に負った傷を癒すことのできる男として。
「あ……の、っ」
戸惑いがちな声が上がり、レオンはようやく両腕を解く。シャンティはゆっくり振り向き、信じられないと言わんばかりの様子で流れ者を見つめた。
「ミスター・ブラッドリー……?」
「レオンだ」
その双眸にあの星の光が蘇っていくのを見つつ、レオンは間髪入れずにそう言い再び彼女を抱きしめる。
「もう他人行儀に呼ぶのはやめてくれ。俺の名はレオンだ、シャンティ」
男は掠れた低い声でもどかしそうにそれだけ告げると、焦がれた女の唇に自身のそれを迷いなく重ねた。