小さくも手厚い看護が自慢の医院にゴードンを残し、4人は翌日の昼下がりに再び南へと旅立った。全てが終わったら必ず戻ってくると誓ったシャンティに、老牧童は背を向けたまま顔を見せるなと返しはしたが、その肩が震えていたのは怪我のせいだけではなかっただろう。
 手持ちの金だけでは足りず、何頭かの牛や馬を売って治療費を払ったこともあり、娘の腕を以ってしても食事は質素にならざるを得ない。しかし文句を言わずにぺろりと平らげる3人のおかげで、新たな旅路の初日を締めくくる夕食も和やかだった。

「なあ、あの2人の話って一体何だったんだろうな。結局ゴードンもブラッドリーも口を割らねえままだったが、俺は気になって仕方ねえよ」
「……そうね……」

 今夜の当番を務めるテッドとレオンは既に席を立ち、焚き火の傍に残ったクライヴとシャンティは会話に興じる。

「でもあれからあいつ妙に丸くなったような気がするんだよな」
「え? あいつって、誰のこと?」
「そりゃお前、ブラッドリーさ。あいつ、最近までお前にきつく当たってばっかだっただろ? 河を越える前は特によ。それがさすがに昨日今日はちょっとなくなったのかと思ってな。だからって始めと同じかっていうとそれもまた違うけどよ」

 妙に鋭いところを突かれ、娘は思わず口を噤んだ。だがその変化のきっかけを兄貴分が知ることがあったなら、血気盛んな赤毛の青年はどんな行動に出るだろう。クライヴは用心棒の銃の腕こそ認めてはいるものの、さりとて彼女と特別な、それも期間限定の関係を築くという話について、諸手を挙げて喜んでくれそうな雰囲気など微塵もない。それはすぐ後に続けられたこの言葉からも明らかだった。

「シャンティ、あいつが今度突っかかってきたらまず俺に言えよな。撃ち合いじゃあいつに負けても、腕っ節の方はわからねえし」

 そう言って凄みながら袖を捲り上げる青年に苦笑し、妹分を拝する娘は焚き火に目を移して答える。

「ありがとう、でも大丈夫よ。ミスター・ブラッドリーは厳しくても大らかでいい人だもの。それに……」
「……それに?」
「ううん、何でもないの。何だか少し眠くなっちゃった。早いけど先に休んでもいい?」
「おう、それなら寝ろ寝ろ。明日も1日長丁場だぜ」

 これがもしテッドだったなら追求の1つもあっただろうが、クライヴが細かいことを気にしない性質たちなのはありがたかった。横になったシャンティは眠れないとわかっていても目を閉じる……今しがた話題に上った人物を思い浮かべながら。
 前日の夕時にゴードンのところから戻ってきた後も、レオンは彼女の名前を人前で呼びかけることはなかった。その振る舞いは厩舎で2人きりになる前と何ら変わらず、テッドとクライヴの目にも不自然なところなどなかっただろう。しかしシャンティの視線が黒い眸と交錯する瞬間、そこにはいつも密かな情熱の火花が静かに散っていた。それはあの口づけが単なる慰めではないという証拠で、その度に彼女は息もできないほどに胸が締め付けられる。
 叶うならばもっと近くで、唇が触れ合うほどの距離から彼の炎を確かめたい。そしてそのまま散りばめられた想いの全てを集めるように、時間も場所も忘れて何度もキスを交わすことができたなら……。

“ああ……レオン、私……!”

 胸を満たす途方も無い恋しさに切ない吐息が零れる。答えはきっともう自分の中で最初から出ていたのだろう。そうでなければこんなことを神に祈るように望みはしない。例えそれがフォートヴィルに辿り着くまでの日々だけだとしても、愛した男と生涯残るであろう思い出を作りたい――それがシャンティの偽らざる正直で素直な願いだった。
 だがそれをどんな風に、いつ伝えればいいのかがわからない。そうしようと思えば2人きりになることもできるのだろうが、テッドとクライヴの目を意識しないというのもまた難しく、色恋の経験に乏しい彼女の手持ちは限られている。かと言って何も言えなければ貴重な時間は過ぎるばかりで、募る一方の焦りと不安に押し潰されてしまいそうだ。
 その翌朝もレオンの態度にこれという変化はなかったが、彼の静謐なまなざしは何かを言葉なく問いかけている。シャンティがこのまま黙っていればいずれそう遠からぬうちに、寄せてくれている興味も無関心へと変わってしまうだろう。それでも最初から終わりの日を明確にする相手に対し、想いを打ち明けてその胸に飛び込むのは正しいのだろうか?
 ――ところが頭を悩ませている時間はほんの僅かで済んだ。その夜の当番を務めるのはテッドとクライヴだったのだ。

「さて……“お姫さん”。ちょうどいい機会だ、ちょっといいか」

 荒野にレオンと彼女の2人が残ってしばらく経った頃、彼は黙ったまま俯いていたシャンティへとついに切り出す。来るべきものが来てしまった。顔を上げた彼女を眺める黒い目は穏やかではあったが、ごまかして場を濁すことはできないと思わせる何かがある。

「俺は腫れ物に触るような扱いをしてほしいわけじゃない。あんたの側にその気がないなら無理強いはしない、手を引くさ。約束通り用心棒としてフォートヴィルまで護るだけだ。だがもし同じ気持ちがあるなら……俺が言いたいことはわかるな?」

 “フォートヴィルまで”――もう1度告げられるその言葉は重く、シャンティは我知らず膝の上の手をぎゅっと握りしめていた。それで終わりにしたくはない。本当は傍にいたい。旅の終わる日が来ても、それからもずっといつまでも、レオンの傍に。

「あなたは……それでいいんですか?」
「他に何を望むってんだ?」

 か細い声で尋ねれば微かに驚いた様子で返され、彼女は耐えきれずに目を伏せるとほんの僅か唇を噛む。男は自身の手を伸ばすと娘のなめらかな頬に重ね、真っ直ぐに鳶色の眸を覗き込むと厳かに尋ねた。

「シャンティ、聞かせてくれ。お前は俺のことをどう思ってる?」

 その優しい声を聞いてふいに涙が零れ落ちそうになり、シャンティは何度も瞬きを繰り返しそれに耐えようとする。もう泣いている姿などレオンの前で晒したくはないのに、声にならない苦しさが湧き上がりあふれ出すのを止められない。

「わた……し……」

 しかし彼は答えを待っている。他ならぬ彼女が、自分自身の意志で選んだ答えを。

「私は、あなたが」

 そこまで言ったシャンティは突然何もかも全てを投げ出し、誰もいない遠い場所へ逃げてしまいたい衝動に駆られた。だが潤む視界の向こうに佇む男はそれを許さない。選ばれ得るのはただ1つ、嘘偽りのない自身の想いを彼に伝えることだけだ。

「あなた……が……」

 消え入りそうに儚い声。並大抵の男ならそこに希望など見出せないだろう。しかし――。

「……好きです……!」

 その想いは気づいた時には言葉となり耳に届いていた。レオンの眸を見つめ返して娘が愛を告げた瞬間、堰を切ったように堪えきれない涙が頬へ零れ落ちる。だがそれは彼女を力強く抱きしめた男の胸に消え、乾燥した大地を潤してくれる夜露にはならなかった。

「……あまり脅かしてくれるなよ」

 しばしの沈黙の後に囁かれた声は喜びに満ちて、彼が零した安堵のため息がそっと首筋を撫でていく。レオンはシャンティの濡れた頬を大きな自身の手で拭うと、愛しさの滲むまなざしを向けながら彼女の華奢な背を抱き……。

「シャンティ、これからもよろしくな」

 その夜、ついに想いを通わせた2人は熱いキスを交わす。小さなすれ違いを残したままのそれは夢のように甘く、それでいて胸の奥を締め付ける切ない涙の味がした。