ランスバックから離れると街道は急激に寂れてゆき、4人は再び牛を追って乾いた土地を南へと下る。

「違う、もっと肘を真っ直ぐ伸ばせ。曲げてると当たらんぞ」

 夕食を摂ってから夜番を始めるまでの僅かな時間、シャンティはレオンに付いて細身の銃の取り扱いを習う。彼としてはそれを積極的に撃たせるつもりはないのだが、目に見える場所に下げていれば心得があると思われる以上、やはりいろはを教えずお飾りにさせておくわけにもいかない。

「真っ直ぐ……こうですか?」
「ああ、だが銃口は下げるなよ。手は必ず銃身に沿わせろ」

 娘は覚束ない手つきながらも丁寧に動作をさらう。短い時間しか取れぬからこそその目は真剣そのもので、できるだけ早く身につけようと努力する姿はいじらしい。彼女はなかなか筋がよく、それを手放しで喜べないレオンにとっては悩ましかった。

“飛び抜けて下手でも参るが、様になるのも困っちまうな”

 教えたことを使う場面などこの先ずっと来なければいい。だが構えを修正するためとはいえシャンティに触れていると、やはり嬉しいという気持ちが心の片隅に浮かんでくる。これがもし2人きりであればと頭をよぎらぬこともないが、そうであればきっとこんなにも真面目に指導はできないはずだ。

「こいつは反動が少ない銃であんたでも連続で撃てる。だが撃ち切っても途中で弾を詰め替えようってのは無理だぜ。俺のも大概再装填には手間がかかる代物だがな、あんたの得物は前込めだ。こいつを使う時は中にある6発限りでけりをつけな……まあ、そんな機会は俺が傍にいる限り来ないだろうが」

 ランスバックを後にしてから数日が経とうという日の夜、夜番たるレオンはそう言うとその晩の講義を切り上げた。念のため恋人の銃には未だ弾を込めていなかったが、無闇矢鱈に触らないよう言い残すと静かに立ち上がる。今夜の相方は後ろで彼が来るのを待っているテッドで、男2人はジャケットを羽織ると連れ立って荒野へ向かった。
 昼間はまだ暑いが陽が落ちた後の空気はもはや冷たく、見回る家畜も心なしか身を寄せ合っているように見える。1日時間が過ぎる毎に季節は確実に移り変わり、それは一行が牧場を出てから南へ旅した時間を――すなわちシャンティとレオンが母屋の扉越しに出逢ってから、共に過ごし想いを通わせた時間の長さを示していた。数えてみればたった3ヶ月と少しの日々でしかないのに、何とたくさんの出来事がその中に込められていただろうか。
 2人の男は問題なく夜の見回りを続けていたが、眼鏡の牧童が相手を呼び止めたのはまさにそんな時だ。

「……なあ、ブラッドリー」
「ん?」
「あんた、お嬢に手を出したな」

 ――頭が真っ白になるとはきっとこういうことを言うのだろう。不意を突かれたレオンは驚愕のあまり呆然と立ち尽くし、気の利いた答えを返すどころか瞬き1つできなかった。

「ごまかそうとしても無駄だぜ。こうも顔に出てりゃ気づかねえのは鈍感なクライヴくれえだ」

 何の前触れもなく切り込んできたテッドは淡々と続け、用心棒は何食わぬ顔を保つだけでも精一杯だ。しかし女牧場主がそんなにも想ってくれているなら、同じように彼女を愛する身としては咎められそうもない。そもそも秘密にしてほしいと言ったのはシャンティの方であり、自らの言動が証拠ならば彼女も文句はないだろう。
 ところが緑の目を細めて相手をちらりと見た牧童は、黒髪の男が全く想像もしなかったことを告げた。

「ちょっと硬派な用心棒かと思ったらとんだ食わせもんだ。あんた、毎日お嬢のこと食べちまいたいみてえな目で見て――」
「おい、ちょっと待て」
「あ?」

 思わず口を挟んだレオンにテッドは拍子抜けしていたが、尻尾を掴まれたのがシャンティの方だと信じていた彼は、今しがた聞こえた言葉の意味を問い質さずにはいられない。

「あんた俺のことを言ってるのか? あいつの……シャンティのことでなく?」

 彼女への想いを仲間の前で公にしたことなどなく、自分らしからぬ睦言を口に出したこともなかったはずだ。怪しまれるような素振りこそ幾度かあったのかもしれないが、2人の関係を決定的にするものなど何もなかった――少なくともレオン自身は隠し通していると思っている。だが相手はそんな彼らしからぬ狼狽ぶりに苦笑すると、どこか苦々しそうな顔でレオンの疑問に答えてくれた。

「確かにお嬢の態度も数週間ばかり気になりゃしたがな。それより前のあんたならお嬢が銃が欲しいと言い出しても、賛成こそすれ反対なんか絶対にしやしなかっただろ? ましてや持たせた上で使うななんて馬鹿なこと言うはずねえ。それにいくら女の手に合う物を探してるって言ってもよ、あんな上等のエングレーブモデルなんてさすがにやりすぎだ」
「……!」

 挙げ連ねられたそれらには多少なりとも心当たりがある。シャンティを心から愛しているということに気づく前なら、用心棒こそ武器の1つも持つべきだと言っていたはずで、手にした以上はすぐさま扱いを叩き込んだに違いない。彼女にとって使い勝手のいい銃を選びはしただろうが、その手を飾るに相応しい優美さを求めはしなかっただろう。
 彼の言動の全てはシャンティのために為されたものであり、そこには他のいかなる論理的な説明をも見出せない。それを悟ったレオンは眉を寄せ難しい顔で黙り込む。そのまま2人は身動き1つせず荒野に対峙していたが、自らの生き方を変えてしまうほどの恋に落ちた男は、やがて力なく首を横に振ると肩を竦めてこう言った。

「……で、あんたはどうしたい? 今ここで俺をぶちのめすか?」
「てっきりしらを切るかと思ったが話が早くて助かるぜ。それならそのまま動くなよ」

 テッドは前もって雇い主に手を出すなと忠告している。一矢報いる機会を待っていたとしても何らおかしくない。レオンは覚悟を決めると歯を食いしばって一撃に備える。

「だがな、そうしちまったらお嬢は2度と口を利いちゃくれねえ」
「!」

 頬に風を感じた瞬間謀ったように拳を止められ、殴り飛ばされると思っていた男は驚き目を見張った。相手の言葉が意味するところはつまり許すということだが、諸手を上げてというわけでもないのは十分伝わっている。これはレオンのためではなく、彼らの姫君のためなのだと。

「あんた、何でお嬢が銃を欲しいと言ったのかわかってるか?」
「いや。あんたにはわかるのか?」

 正直に答えた用心棒を呆れたように眺めた後、寂しげに目を伏せたテッドは独り言めいてそっと呟く。

「いざって時に見てるだけじゃなく自分であんたを護るためさ。お嬢はどうやら心底あんたに惚れ込んじまったみてえだな……でなけりゃ親父との約束を反故にするなんて言うはずがねえ」
「……!」

 黒髪の流れ者はこれまで戦いに敗れたことがない。そんな彼さえ護りたいと願ってしまうほどに愛している――思いがけず明かされたシャンティのレオンへの想いの深さに、彼の胸を満たすのは天をも焦がす炎めいた愛情だ。彼女が全てを懸けて護る“本当に大切なもの”として、来たるべき波乱に満ちた運命を共にできる相手として、長い旅の果てにレオンはついにその中に数えられている。

「だが今度お嬢を傷つけたら問答無用でぶっ飛ばすぜ。お嬢を幸せにできる奴じゃなきゃ認めるつもりはねえんだ」

 どことなく顔の緩んだ相手にテッドは再度釘を刺すが、愛を知った今の男に恐れるものなどもはや何もない。

「なら好きなだけ確かめりゃいいさ。そいつが俺しかいないことをな」

 そう返された声は既に余裕に満ちたものに戻っていた。