明くる朝、いつもと同じようにカウボーイの服を着たシャンティを見ても、既に下で待っていたテッドとクライヴは何も言わなかった。2人はただ1度彼女の後ろに立つ用心棒を見やり、3人は互いに頷き合って前日に交わした誓いを――いざという時にはどんな手段を使ってもシャンティを逃がす、それを何よりも優先して行動に出ることを確かめる。

「あんたたち、本当に行くのかい?」

 宿屋の主人は心配そうに4人を引き留めようとしたが、赤い髪を後ろで束ねた牧童は元気よくこう言った。

「俺たちが行かずに誰がフォートヴィルまで行けるたまだってんだ? たっぷり稼いだ帰りにはまたここにも寄らせてもらうからよ、せいぜいそれまでその時のためにいい部屋掃除して待ってな!」

 その言葉に目を丸くする主人の隣でテッドは苦笑し、レオンは帽子のつばを引き下げながらも軽く頷いている。雇い主である娘はそんな彼らを頼もしく感じたが、フォートヴィルに辿り着いた後も人生は更に続いていく、そんなクライヴの言葉には彼女もはっとせずにはいられない。
 もちろんアラステアとの戦いを乗り越えることが当面の、そしてこの旅の最後の難関なことは間違いないだろう。しかし牛を売った後で待っているそれぞれの新しい道、そこでめぐり会うであろう多くの人々との新しい縁……フォートヴィルは辿り着かねばならぬ目的地であると同時に、そんな様々な物事が始まる出発点でもあるのだ。
 心から愛した恋人の大きな手を自ら離す時、シャンティは本当の意味で自分の旅を始めることになる。黒い目の男と過ごした僅かな日々の煌めく思い出を、消えない炎のようにその心の中にずっと灯したまま。

「さあて、それじゃ早速極上の牛肉を届けに行くかい」

 テッドの一言で一行は滞在した町に別れを告げ、遠くに見える山並みを目指して再び荒野へ旅立った。荒涼とした大地には鉱石めいた岩が徐々に現れ、乾いた地面を覆い隠す丈の高い草が茂っている。どこに敵がいるかわからない場所を進むのは消耗するが、そんな状況でも弱音を吐く者などもちろん誰もいない。この4人には覚悟があり、そして揺らがぬ信念があった。拍子抜けするほど敵方に動きのない時間が続いても、常に辺りに気を配り欠片ほどもそれを緩めないほどに。

“……おかしなもんだな、この俺が……”

 見晴らしの利く開けた場所で束の間の休息を取りながら、レオンはふと自身の過去についてひと時思いをめぐらせる。ロデオのない時期には日雇いとして働いたこともあったが、簡単には使い切れない賞金を得るようになってからは、こうも長く他人と行動を共にする必要はなかった。放浪の途中で窮した相手に手を貸したりはしたものの、避けられる危険は避ける主義でいるのはこれからも変わらない。
 彼は誰のためにでも命を投げ出せる善人ではないし、危うい正義感が逆に破滅をもたらすことも知っている。それでもその日の陽が落ちるまで生きていられるかもわからない、死と隣り合わせの分が悪すぎる旅をまだ続けているのは、ひとえに1人の女を魂の底から愛したからだと、一昔前の自身に告げてもきっと信じはしないだろう。
 空に瞬く無数の星、それらの中でもレオンが一際明るく感じた輝きは、栗色の髪をした娘の姿で彼の前に舞い降りた。鳶色の眸の中に求めていた問いの答えを得た今、レオンの生きる意味はもはや以前とは全く異なっている。2人が荒野の中で互いの想いを通わせたあの日から、新たな彼の人生は既にその幕を開けているのだから。

「――川だ!」

 そしてついにフォートヴィルへはあと2日ほどまで迫ったその日、一行の前には鉱山から湧き出るせせらぎが現れた。冷たく澄んだ水の流れを辿っていけばこの旅も終わる。それは疲弊した4人をほっとさせてくれるものではあったが、同時にアラステアの縄張りに入ったことをも示していた。1両日中に彼とどこかで相見える時が来たなら、全員揃って生き延びられる保証などもはやどこにもない。だからこそ希望を与えてくれる光を見出さない限り、この先へと足を踏み出す勇気を手に入れるのは不可能だ。

「なあシャンティ、ちょっといいか」
「?」

 太陽が真昼を示す頃、レオンはマースローの歩調を緩め荷馬車のシャンティに並ぶ。テッドとクライヴは先を行っており話は聞かれないものの、御者台に向かって呼びかけた声はいつもより落としたものだ。

「レオン、何か気になることでも?」
「いや、そうじゃないんだが……お前にこれを預けたい」

 そう言った彼は内ポケットから小さな袋を取り出すと、目を瞬きながら微かに首を傾げている娘へ渡す。

「これを……どうして私に?」
「まあ何だ、げん担ぎってやつさ。あくまでも預けるだけだが、もし俺が……」

 ……この先もう帰らぬ者となってしまったら。その時に“これ”を朽ち果てさせておくなど無論御免被る。そして万一に備えて誰かに託しておこうとするならば、頭に思い浮かぶ相手など最初からシャンティしかいない。だが不吉な言葉を察知した彼女はさっと顔を曇らせ、口に出してはならないことを話す時めいて強く拒んだ。

「嫌です! そんな……そんなこと、まるであなたが」
「シャンティ、いいから受け取ってくれ。でないとこの先集中できん」
「!」

 説得など元より聞くつもりのないレオンはその手を伸ばし、半ば強引にシャンティが腰に下げているポーチを開けると、抗議の声も聞かずに麻の袋をねじ込んで蓋を閉める――何かの弾みに転がり落ちないよう注意深くしっかりと。

「よく聞けよ、お前にはこれを預けるだけだと言っただろ?ことが終われば返してもらう、それがないと俺も肝心な時に格好がつかないんでね」
「…………」

 彼女は酷く辛そうな目で何も答えず俯きはしたが、革のポーチを開き袋を持ち主へ返すことはなかった。肝心の麻袋の中身を尋ねる気にすらなれないのか、シャンティは黙ったまま彼の身勝手な要求を受け入れる。レオンは恋人のそんな姿に微かな痛みを覚えつつ、複雑なまなざしで彼女を見つめると真摯な声で言った。

「フォートヴィルに着いたらお前に言わなきゃならないことがあるんだ、それまで死ぬつもりはないさ」
「……え……?」

 シャンティに伝えるべき言葉を彼はずっと胸に持っている。しかしそれを告げるのは全てが終わっていなければ意味がない。従ってレオンは元より話を続けるつもりはなかった。そして再び牛を追わんと用心棒が前を向いた時、会話は不幸にも1発の銃声によって終わりを告げる。

「!!」

 銃弾を撃ち込まれた馬車の車軸の1つがすぐさま弾け、バランスを崩した車体は耳障りな音と共に止まった。黒い眸は瞬時に姿を現した男たちを捉え、流れるような手つきでホルスターから得物を抜くと構える。こんな遠距離から車軸を、しかも横転させることなく止められる場所を撃ち抜くだけで、相手が一体何者なのかは問わずとももう知れるだろう。然してレオンの視線の先に映る痩躯の男の影は、遠く離れていてもはっきりわかる長い銃を手にしていた。

「シャンティィィイイイイイ!!」

 飢えた獣の遠吠えにも似たアラステアのその叫び声は、これだけの距離を超えてもなお鮮明に各自の耳に届く。互角の腕を持つ用心棒は我知らず唇を噛むと、敵から目を逸らすことなく左の腕を伸ばし抱え上げた――2人の男の運命を変えた1人のうら若い女を。