自身の命ももはやこれで尽きるかと思われたその瞬間、あり得ない場所から突然姿を現した1人の女。それが死ぬ前に一目でも逢いたいと願わずにはいられない、そんな相手だったことを喜ぶべきか憤るべきなのか、考える時間は残念ながら持ち合わせてはいないだろう。あまりに大きな驚きは思考を麻痺させてしまうものだが、生きた心地がしないほどの恐怖がそこについてくるとなれば、悠長に呆けていられる余裕も暇も無論ありはしない。レオンにとってこの救援はかくも心を乱すものであり、馬の背から落ちかねない彼女の危うい姿を見た時は、そのまま自分の心臓が止まってしまうかと思ったほどだ。
 だが誰もが疑いようのない絶体絶命の瞬間に、自身を犠牲にして逃した恋人が駆け降りて来たことを、少しも嬉しく思わなかったと言ったならそれは嘘になる。それがどんなに愚かで無謀極まりない賭けか知っていても、もし立場が逆ならば彼は迷わず同じ行動をとった。かつての彼ならそんな蛮勇を哀れにも感じただろうが、そこにいかなる想いが込められているのかを今は知っている。レオンが彼女と手を携えて共に在る未来の先にしか、自分の生きる道がないと疑いようもなく悟ったように、シャンティもまた同じ想い故にここにいるのだということを。

「戻る時は2人一緒だ。お前独りで返しやしないさ」

 もはや2度と逢えないと思っていた相手を抱きしめ囁く。こんな無茶は金輪際するなと怒鳴りたいのは山々だが、そんなことも全ては生きてこの場を切り抜けた後の話だ。彼女のために必ず勝つ、自分のために勝って生き残る……そうでなければ始まったばかりの物語は終わってしまう。

「幸い、俺たちはまだ運に見放されたってわけじゃないしな……」
「え?」

 1度でも知ってしまったら忘れることなどできぬ温もりを、他の誰かに腕の中から奪い攫われるなど真っ平だ。互角の腕を持つ使い手、また同じ女を愛し求めた相容れぬ恋敵として、アラステアにだけは何があろうと絶対に負けられはしない。シャンティに救われた命で再び彼女を愛したいなら、ここから先は必ず最善の手段だけを選び取らねば。
 ――そしてその最初の一手は既にレオンたちに味方している。

「おいおい、いつまでそうしてそこらにコソコソ隠れてるつもりだ? このままだと日が暮れちまう。出て来ねえんなら俺から行くぜ」

 反響を伴って聞こえた声にシャンティの肩が震えた。底意地の悪さを感じさせる響きに滲む冷たい愉悦、それはアラステア・バロウズという男の本質に他ならない。1度捕らえられれば最後、愛という名の歪んだ檻に生涯閉じ込められてしまうと、わざわざ言葉にされずとも彼女とて既にわかっているのだ。
 そんなことは決してさせないと強くシャンティを抱きしめると、黒髪の男は地面に散らばる銃弾を素早く掴み、まだ腰に下げられたままだった彼の短銃へと手を伸ばす。それは敵がどこかから強奪してきたものだったのだろうし、手触りも日頃から使い慣れている品とは違っていたが、自身の得物から撃ち出せる弾だという事実は変わらない。
 2人の男が携える武器は持ち主の性格にも似て、長さを始めあらゆる観点から正反対ではあったが、どちらの銃も初めて世に出た年を同じくしていたために、銃身の長短を問わず共有可能な弾を持っていた。そしてこの場で木箱からあふれている小さな金属片が、その唯一無二の規格に沿ったものだったという幸運を、生き延びるためのよすがとするに弱すぎることなどないだろう。
 このまま隠れていろと告げる代わりに自身の帽子を取ると、用心棒はそれを恋人の栗色の髪の上に載せる。彼は反撃のための武器を手に血の滲む脚で立ち上がり、そして岩壁から姿が見えそうなところで足を止めると、1度大きく息を吸ってからよく通る低い声で言った。

「バロウズよ、まあ待ちな。ここから先は男同士の話し合いと洒落込もうじゃねえか」
「――あん?」

 背筋を焼かれるような焦燥感は身体中を駆け巡り、負った深手の痛みさえもしばしの間忘れさせてくれる。訝しげに返された声の出元には多少の距離があるが、銃を突きつけ合う前に流れを変えることはできるだろうか。

「お前の弾を拝借した。弾く物が手元にあるのは今となってはお前と同じさ。後は俺たち2人の腕、そのどっちが上なのかがすなわち生死の分かれ目ってやつだ」
「ハ! てめえの弾が手に入ったくらいで調子に乗るなよ。これからその五月蝿え口をもう2度と利けなくしてやるからな」

 荒げた物言いには隠しきれない苛立ちが透けて聞こえる。後ろで身を低くしたシャンティは息も詰まる心地だろうが、アラステアが取り乱すほど2人の活路は開けてくるのだ。

「だがお前も本当は答えを確かめてみたいんじゃないのか? 一応勝ったと言ってもよ、ハンデがあったからなんてケチがつくのは俺だって御免だぜ」
「……!」

 緊張の糸がぷつりと切れかねないほどいっぱいに張り詰め、一触即発の気配にはレオンもぞくりと肌が粟立つ。だが今更ここで臆し退いてしまっては元も子もない。背中を冷たい汗が一筋流れ落ちるのを感じながら、男は黒い眸に決意を秘め賭けに出る言葉を告げた。

「もう1度ここでどっちが上かはっきりさせておこうじゃねえか。どうせ今死ぬ運命ならお前と決着をつけておきたい」

 背後から驚愕に満ちた視線を強烈に感じていても、敵から形振り構わぬ禁じ手を封じるにはこれしかない。自らの能力を絶対のものだと信じているからこそ、この手の男はプライドを傷つけられるのを何より嫌い、自分自身で運命を切り拓いてきたという自負があれば、レオンが口にした挑発を聞き流すことはできないだろう。1度は敗れた相手を完敗させ過去の雪辱を注ぐ、それは追い求め続けた女を手に入れるのと同じほどに、彼を憎む長銃使いには魅力的な提案のはずだ。
 同じ男たるレオンにはその心理が手に取るようにわかる。そして無意識ではあったが、どちらの技量が上なのかを確かめてみたいという思いは、口にせずとも確かに彼の中にも存在していただろう――命が懸かっていようとも、なお抗いきることのできない男というものの性として。

「正々堂々と、ってか。そんな甘ったれた青臭さは馬鹿馬鹿しすぎて反吐が出らあ」

 しばしの沈黙の後で吐き出された唸りは悪意に満ちて、レオンの汚れた額には玉のような汗がじわりと浮かぶ。しかし……。

「……だがよ、白黒はっきりさせておくって考えは悪くねえ」
「!」

 息を呑む音まで聞こえてきそうな緊迫した空気の中、ついにアラステアが返したのはただ1つの望んだ答えだ。

「出てきな。向かって来る奴を殺るのが1番愉しめるからな」

 相手の言葉の最後はいつしか耳障りな嗤いへ変わり、振り向けばシャンティは蒼白な顔で恋人を見つめていた。彼よりも長くアラステアという男を知っているが故に、約束を守る輩ではないと無言で訴えているのだ。だがどんな状況でも自分が上だと証明したいならば、アラステアはこの時点でレオンを不意打ちすることはできない。その欲は敢えて正攻法で向かい合い戦うことでしか、完全に満たされないとこちらも痛いほどに理解している。

「……シャンティ、さっきも言ったろう。必ずお前のところへ帰る」

 涙の浮かぶ縋るような目に一言それだけ言い残すと、男は岩陰を離れ敵の前へその姿を現した。