彼がそうだと信じた通り、片眼に眼帯をかけた男は相手の姿を目にしても、手にしていた長い銃を構えそこから火を吹きはしなかった。ここから先は男同士のプライドを懸けた戦いであり、ここから後戻りするための道など1つとてありはしない。

「殺す前に言っておくがな、お前の腕はなかなかだったぜ。俺と組んでりゃあの女以外は何でも手に入ったろうよ」
「そうかい。だがそいつが生憎1番欲しかったものなんでな」

 似たところを持ちながらもどこまでも交わらない2人の道、それを象徴する短い会話の後で一瞬の間がある。それは生死を決する前の最後のひと時だっただろうが、レオンは沸騰しそうな血を冷ますようにゆっくりこう言った。

「バロウズよ、3つ数えな。その後は……撃ち終わってまだ生き残ってた方の勝ちだ」

 砂色の髪を乾いた風になびかせた痩躯の悪党は、黒髪の男の言葉に唇の端を上げて同意する。2人の銃使いはそれぞれそう遠くない位置に立っており、彼らの腕ならここから的を外すことなどそうあり得ない。銃を扱う者としての技量をどれだけ高めているかが、一瞬のうちに問われる人生に1度限りのその刹那。それが過ぎ去った後で立っているのは果たしてどちらだろうか。

「1……」

 まるで夕陽を溶かし込んだような紅に染まる空を背に、アラステアが嗄れた声で運命の数字を数え始める。こめかみを汗が流れ落ち、銃の傍に下ろされたレオンの指先が僅かに震えたが、怖れに屈した時点で彼は永遠の敗者となるだろう。

「2」

 灰色の目と黒曜石のようなそれが瞬き1つせず、命を懸けた真剣勝負の直前にお互いを見据える。そして――。

「……3!」

 その瞬間、荒野にはただ1発の銃声しか響かなかった。それに続いて何かが、誰かが倒れ伏した音が聞こえる。相打ちではないことを示すようにそれは1人だけのものだ。

「…………」

 勝った男は黒い煙がたなびく銃をゆっくりと下ろし、声も立てずに死を迎えた相手の亡骸をちらりと見やる。早撃ちを、中でも多数の弾を恐るべき早さと正確性で撃ち出す手練れたちの、雌雄を決する勝負の結果としては意外かもしれないが、その結末はたった1発の弾丸によってもたらされた。勝敗は一瞬で決まり、もしこの場で2人の戦いを目撃した者がいたならば、いかに腕の立つ使い手でも必ず勝てるとは限らないと、古くからの真理に思い至らずにはいられなかっただろう。そしてこんなにも呆気なくその時が終わってしまったことも、両者があまりにも高い次元で拮抗していたがためだと、伝説的な勝負の結末を受け止められたに違いない。
 生き残った男の心臓は激しい鼓動を打っていたが、頭は冷静そのものだった。勝負がついたならば次にすべきことは元より決まっており、彼は今なお怯えているだろう女の元へ足を向ける。男を見たら彼女は泣くだろうか、それとも叫ぶだろうか。だがどんな反応を見せようともうここには2人しかいない。複雑怪奇な運命は2人の男から1人を残し、栗色の髪の女に手を触れる権利を与えたのだから。

「……っ!」

 然して男が岩の陰から彼女の姿を目にした時、娘は地面に蹲りぎゅっと固く両目を瞑っていた。日頃の穏やかだが自由闊達な気丈さは鳴りを潜め、恐怖と不安でいっぱいだっただろうことはすぐに見て取れる。この世に絶対というものなどないと理解しているからこそ、彼女は自身の眸で勝敗の結果を確かめるよりも、恋人ではない者に最後まで抗う方を選んだのだ。それを信用されていないと思う者もいるかもしれないが、男は何ら気を悪くする様子もなくその身を屈めると、抑えきれないほどの愛しさを込めながら女の名を呼んだ。

「シャンティ」

 傍目にもわかるほどびくりと娘の震える身体が跳ねる。そして睫毛がそっと上がり、柔らかな鳶色の双眸が目の前の男を映し出す――再会の喜びと共に。

「……レオン!!」

 声をかける前に頭の中で想像したものと違わず、シャンティは彼のために咽び泣きながらレオンの名を叫んだ。縋りつくように腕を伸ばした彼女を両腕でかき抱き、黒髪の用心棒は愛しい恋人に笑顔で囁く。

「やっと終わったぜ、全部な」
「ああ……レオン、レオン……!」

 夕暮れの牧場で出逢ってからさえまだ4ヶ月と少し、ましてや初めてキスをしたのは1ヶ月前でしかないのに、今日までの間には何とたくさんの出来事があったことか。広い背中に回されたシャンティの細い腕に引き寄せられ、それが彼であることを確かめるように名前を呼ばれる度、レオンは言葉で応える代わりに彼女へ口づけを贈った。命を落とさず済んだのも紙一重だったろう危険な賭け、その中で勝利を引き寄せてくれたのは自身の腕ではなく、この胸ですすり泣いているシャンティの存在があったからだ。

“……結局勝負はつかなかったか……?”

 敵とお互いに向かい合い、合図と共に銃を構えるまでは優劣はなかっただろう。しかし骨ばった死神の指が引き金にかかった瞬間、自信に満ちあふれた表情が微かに歪みほんの僅かな――だがこの局面では決定的な遅れをもたらしたことを、極限の感覚の中で見逃すことはとてもできなかった。考え得る限り異変の原因は脇腹の傷だろうし、そしてそれを負わせたのが自分ではなかったと考えた時、一瞬とはいえ惜しいと感じてしまったレオンは自嘲する。しかし運も勝負のうちならば、それがどちらの側にあったのかはきっと明白だっただろう。
 この日、非道な悪党であり高額な賞金首だった、アラステア・バロウズは人知れずその生涯の幕を閉じた。弾の方が彼を避けると実しやかに言われた男の死、それを呼び込んだものが愛した女の銃弾だったことを、最期の瞬間にアラステア自身はどう思ったのだろうか。そんな感傷めいた問いの答えはもはや誰にもわからない。

「まずはここを離れちまおう。奴が起き上がってくるとは思わんがずっといたい場所じゃない」

 レオンがそう告げればシャンティは涙を拭いてすぐに頷き、彼の腕に促されるまま開けた場所に向けて立ち上がる。決戦中は賢くも自ら身を隠していた黒馬は、主人の口笛を聞きつけると草の海から顔を覗かせ、2人を背中に乗せると喜び勇んでその場を後にした。
 東の空に目をやれば既に数多の星が輝き始め、辺りは夜の帳に包まれ始めてだんだんと暗くなる。フォートヴィルまでは牛なしでもまだ半日はかかると思うと、目の利かない夜間に無理をして土地勘のない場所を行くより、川沿いで身体を休めることは道理に適っているはずだ。そして馬上の娘が何度も振り返り心配したように、用心棒の傷も徐々に痛みを取り戻しているとなれば、早急に何らかの手当てを施さなければならないだろう。
 適当な場所を見つけると2人は力を合わせ火を起こし、近くを流れる川のせせらぎで汗と汚れを洗い流す。傷の消毒が終わり、恋人の応急処置を済ませると、シャンティの道具入れはもう空にも等しくなってしまったが、すっかり陽の落ちた荒野でようやく人心地ついた2人は、やっと気を張り詰めることなくお互いを見つめ合えた気がした。

「――シャンティ」

 しばらく黙っていたレオンが口を開いたのはそんな時だ。

「はい?」

 いつかのように揺れる焚き火の柔らかい光を間近に受け、名前を呼ばれた女は顔を上げその続きの言葉を待つ。男は夜空のような黒い目を真っ直ぐに彼女へ向けると、疑いようもない真摯さが込められた声ではっきり告げた。

「お前を愛してる。俺と結婚してくれないか」