「あ、ぁ……!」

 ほとんど見えない創痕の上を癒すように男の舌が舐め、女の甘やかな喘ぎが静かな小部屋の中へと満ちていく。かつて目にした酷い傷痕を1つまた1つと辿りつつ、殺し屋は彼女を清めていくように同じ行為を何度も繰り返した。
 いかに馴染みの娼婦でも、次の客がいることを思えば情事の痕など残せない。これまでノアはそんなことをしたいと思ったことさえなかったが、他の男に刻まれた印など全て消してしまいたかった。自分がルーチェに触れた証で何もかも塗り替えてしまいたかった――だがそれが叶わないのなら。

「ん!」

 甘美な刺激に悶える娘の胸が誘うように大きく揺れる。その膨らみを下から持ち上げるようにしてしっかりと両手で包み込むと、ノアは既に存在を主張していた頂に迷いなく自身の唇を寄せた。

「や、っあ……ノア、っ!」

 途端に跳ね上がる鋭い快感にルーチェの背が大きくしなる。すすり泣くような声で切なく名を呼ばれるのは心地良く、掌いっぱいに感じる柔らかさは殺し屋の情欲を煽り立てた。経験のない女に貪るような真似をするつもりはなかったが、こうなってしまえばそのやせ我慢もいつまで続くか自信がない。
 緊張や不安よりもなお強い甘さが娘の声に宿り始めた頃、ノアはようやくその場を退き再び傷を辿る作業に戻る。首筋から足先はもちろんのこと、背中の隅々に至るまで彼の唇は柔肌へと押し当てられ、ある一部を除けば口づけていない場所などもはやどこにもなくなっていた。触れれば触れるほど立ち昇るほのかな女の香りは官能的で、それでいて胸が締め付けられそうなほどの切なさと純粋さに満ちている。きっとそれは今この瞬間しか感じることはできないのだろう。彼女はこの先無数の男に身体を許す必要があり、その頃には娼婦独特の香りを纏うに違いないのだから。
 時間の感覚がなくなってしまうほどルーチェの身体に触れた後、男はついにその先を求めて彼女の脚に手をかけた。下肢の間、既に甘い蜜の香りを漂わせている最後の聖域、今日まで秘められ続けた護りが落ちればもう彼が知らない場所などない。だがこれまで相手にそうしてきたようにその膝を立てさせてはみたものの、触れている脚から嫌でも伝わる震えを無視するのは難しい。
 ノアには想像することしかできないが、女が初めて男を受け入れる時には苦痛が尽きないものと聞く。世の中で実しやかに囁かれているそんな噂が真実ならば、正真正銘の生娘たるルーチェが怯えないはずがないだろう。彼は処女を相手にしたことはなく、そもそもそんな女と知り合う機会も普段の生活ではあり得ない。しかしどんな因果かめぐり逢ったと言うならそこには何か意味があるはずだ。表と裏という2つの世界の境界線上を飛び越える、運命に抗う一歩を踏み出す手伝いくらいはできるだろう。

「随分と感じているな。わかるか?」
「っあ、ぁ……ん、っ!」

 返事にならない声しか出せないルーチェは酷く濡れていて、固まっていた身体は執拗な愛撫ですっかり力が抜けている。男は骨ばった指で敏感な部分を徐々に慣らしていきながら、止め処なくあふれるその蜜を舌先で何度も繰り返し掬い取った。優しく触れれば触れるほど彼女の爪先は宙へと跳ね上がり、抑えきれずに零れる甘い囁きは何にも優って雄弁だ。
 切なく顰められた眉、涙で煌めく緑の目。濡れた唇は殺し屋の名を紡ぎ、細い指先はシーツを握りしめる。小細工などせずさっさと“目的”を遂げてしまえばいいものを、どうしてこの夜ばかりはできるだけ触れたいと願ってしまうのか。客とは奉仕されることこそあれ逆など滅多にないのだが、相手が彼女であるというだけで不思議な喜びが駆け巡る。
 もはや本来の相手が出戻ってきたところでこの場を変われとは言わせない。ルーチェ・フェレイラはノアのものだ。今この時だけは誰が何と言おうと、彼1人だけのものなのだから。

「あ……!」

 一際高い声が部屋の空気を震わせ余韻が儚く消えていく。痙攣した身体が力を失いぐったりと寝台に沈むまで、男は彼女の清らかな雫でその唇を濡らしていた。ルーチェが僅かに残った気力で彼の名を小さく呼んだ時、ノアは口元を拭うとその身を起こして横たわる女と目を合わせる。2人はそれだけで知ることができた――すなわち、その時が来たのだということを。

「覚悟はできているんだな?」

 それは最後の意思確認だった。娼婦の仕事に従事する以上は選んでいる余地などないのだが、今この場でどうしても嫌だと言われれば辛うじてその身を引くこともできる。しかし彼女の返事が少しでも躊躇を孕んでいるものだったなら、何人たりとも為された選択を変え得ることなど叶わない。なぜなら男の中に潜んでいる獣は幾重もの鎖を引き剥がし、緑の目をした女を求めて力の限りに吠えている。それを1度でも解き放てば最後、彼女の全てを奪い尽くすまで獣は決して止まりはしない。
 だが……。

「……知らない人が来ると、言われていました」

 珈琲色の髪をした娘は殺し屋に組み敷かれるがまま、彼の眸を仰ぎ見ながらぽつりぽつりと話し始めた。

「それを聞いて私は……これがどんな仕事かわかっているのに、それでも……不安でした……」

 途切れながらも女はそう語り、ノアはその続きをただじっと待つ。

「だけどあなたがこの部屋に入って来た時、私はとても……驚いて」

 彼の耳ではルーチェの声音に嫌悪の響きは感じられず、絶えず湧き上がる果てしない渇きに男は身を焦がさんばかりだ。

「でも私は……私は、あの時」

 緑の眸に涙が滲み、それがまさに零れ落ちるというその瞬間、ノアはかつて目にした温かい微笑みがルーチェを彩っているのを見た。

「あなたで良かったと、そう思ったんです」
「――!」

 彼の心に巣食った獣が最後の鎖を引きちぎり、激しい歓喜の叫びを上げつつ娘に向かって手を伸ばす。殺し屋は何も言わずにルーチェの蜜壺へと猛った自身を充てがうと、熱いぬかるみを先端で押し開きながら女の華奢な肩を抱いた。

「……っ!」

 ぎゅっとルーチェが目を瞑る。それはまだ半分も挿れられていないのだが、引き絞るような鋭い締め付けは快感というよりももはや痛みに近い。彼女にとってノアは異物なのだ。しかし難なく受け入れられるようになる頃、もうルーチェにはこの手など届かない。それがなぜこんなにも辛く感じるのだろう? 忘れられてもいいなどと嘯きながら、なぜ覚えていてほしくてたまらない……?

「ん……!」

 声にならない悲鳴を上げている娘の痛みを和らげようと、きゅっと結ばれたルーチェの唇を男は自らのキスでふさぐ。慰めにも似た彼の口づけは角度を変えて幾度も続き、柔らかい髪を抱きしめたその手は涙の跡を拭っていく。ノアは身体の自由が効かない彼女の爪をその背に立てられるがまま、2つの鼓動が1つになるまで無理に進もうとはしなかった。
 気が遠くなるほどの長い数分、それを耐え抜いた後で僅かに緩んだ薔薇色の唇に先を乞う。控えめに差し出された娘の舌を吸い、その温かい甘さに酔いしれる。性急に求めたくなるほど男は一層動きを慎重なものへと変え、初めて味わう苦痛に彼女の身体が慣れるまでただ待った。
 このまま犯すのは容易いが、彼は自分を受け入れてほしいのだ。ルーチェが自ら決断し、ノアの全てを受け止めてほしかった――その無垢な証と引き換えに。

「ノ、ア……ノア、っ……!」

 そして胸が震えるほど切ない響きで娘は男の名を呼ぶと、その身体の最も深く秘められた場所まで彼が侵入することを許した。