主導権を握っているはずなのに、しばらくは身動き1つすることさえままならない。純潔の護りを破られた身体は穿たれたものにぴたりと添い、その形を記憶に刻みつけるように緩んでは再び締め付ける。ルーチェの秘所は繋がった場所から溶け出してしまうかのように熱く、彼女を抱いているノアの腕までもがその反応に震えていた。
 理性を捨て去り溺れられないのは苦悶と言うより他にない。だが同時に圧倒的で完全な結合が男の全てを満たしていた。これまでは欲望を処理する手段としてしか用いたことなどなかったのに、この行為が現す本当の意味にノアは気づいてしまったのだ。人が命を持ったまま辿り着くことが許される天上の楽園を、殺し屋の男はこの時確かにルーチェと2人で垣間見ていた。

「あ……わた、し」

 囁くような声に続き、止まっていた涙が再び頬を伝う。

「良かったな。これでお前も“女”だ」

 相変わらず感情を見せずにそう言う男の声は僅かに掠れていて、何とか押し殺している内心の激情がそこからほのかに透けて見える。閉じていた目を開いた娘はそんな彼と視線を合わせ、破瓜の痛みを堪えながらもそっと優しく微笑んだ。

“……!”

 ノアは思わず息を呑み、身体中を巡る血が彼女を求めて沸き立つ感覚に苛まれる。あまりにも健気でいじらしい薄幸の娼婦はこうしてその身を捧げたが、他の男もルーチェに触れると思うととても正気では耐えられない。なぜ自分の半分も生きていない娘に惹きつけられてしまうのだろう? たった今2人は繋がったばかりなのに、もう離れることなど考えられない――もう2度と。

“なぜ俺は……この女を、こんなにも”

 その理由など彼には見当もつかない。こんな不可解な感情など、ノアは今までの人生で1度たりとも感じたことはなかったのだ。わかっているのはルーチェがあらゆる意味で特別だということしかない。ノア・ロメロという男を突き動かすたった1つの理由になる、言葉では言い表すことのできない“何か”を持っている女だと。

「――っあ!」

 繋がった場所を微かに揺らせば聞こえた声には苦痛が混じる。だが……。

「ルーチェ……ルーチェ」

 重なる唇、熱を帯びた囁き。娘の身体の芯をゆっくりととろ火で溶かしていくような、そんな声で誰かを求めたことなどこの夜がもちろん初めてだ。

「ルーチェ……!」

 何度も深く口づけを交わしてしっかりと抱きしめ合いながら、刻まれ始める男と女の律動にその身を任せていく。振れ幅はだんだん大きなものへと変化の兆しを見せつつも、ノアは決して動きのペースを早めるようなことはしない。その身体のどこに彼の存在があるのかを教え込むように緩慢な、それでいて力強さを保ったままの抽送にルーチェはとうとう反応する。

「あ……っあ、ぁ……はぁ」

 上がる喘ぎにはとろけんばかりの甘さがほのかに混じりだし、男の動きに合わせて彼女は引き締まったその背を引き寄せた。僅かに浅く腰を引かれ、再び深く満たされる身体は待ち受ける歓びを知っている。緑の眸を縁取る睫毛は快楽の涙で艶を増し、もっとその声を聞いていたくともキスをせずにはいられない。
 隔絶された小さな部屋で、殺し屋の男と不幸な娘はどこまでも深く繋がっていく。寄せては返す波のように、だが2人をどこか明確な場所へと押し流していくこの奔流。弾けては消える泡よりもなお早く生み出されていく快感は、孤独な2人の魂を強く1つに結び合わせていく。求め合っているからこそ到達でき得る貴く遥かなその場所に、ノアとルーチェはいつしか近づきもうあと一歩のところまで来ているのだ。

「あぁ……ノア、っ!」

 娘の酷く乾いたその響きが男の最後の枷を外す。他の誰とも味わうことのできなかった至福の歓びの扉を今、切なく喘ぐ女と手を携え開く時がやってきたと感じて。

「……っいいか……?」

 殺し屋の額から滴った汗が吸いつくような肌に落ちた。そして彼女の中から離れる寸前まで男がその腰を引いた時、尋ねた言葉の返事が娘の抱擁と共に返される。

「はい……中、で……!」

 ノアは目を閉じてルーチェを強く抱き、再び熱く唇を交わしながら――ついにその奥を深く穿った。

「…………!!」

 それはほんの数瞬でありながらどれほど長く感じられたことだろう。その感覚を何かで例えることなど到底でき得るものではない。こんな経験をしたことのある者は果たしてどのくらいいるのだろうか……。

「……ノア……」

 細い指が黒い髪に触れ、気怠さに逆らって顔を上げた男は緑の眸に囚われる。その顔に疲れを滲ませながらも微かに口元を綻ばせ、女は殺し屋に微笑みかけると囁くような声で言った。

「ありがとう……来て……くれ、て……」

 未だ整いきらない呼吸の合間に消えてしまいそうな言葉でも、彼女を抱きしめ見つめるノアにはしっかりと届く声だった。ルーチェは男をその身の最も深い場所へと受け入れたまま、音もなく眸を閉じると眠りの世界へと沈んでいってしまう。殺し屋は思わず娘を引き留めようとその口を開きかけはしたものの、極度の疲労と緊張から解かれた彼女には休息が必要だ。
 どんな娼館であろうとも、娼婦の部屋には水場か湯桶と布とがあらかじめ用意されている。身を引いたノアはベッドから降りると手近なチェストにそれを見つけ、畳まれた布を1枚手に取り温い湯に浸すと硬く絞った。男は手早くその身を拭うともう1枚の布を濡らし、静かな寝息を立てている娘の身体を上から拭いていく。かつて同じようにその身を清めた時には滲む血ですぐ布が染まったが、しっとりと汗ばんでいる肌を拭ってもそれが穢れることはない。しかし粗方ルーチェを清めたところでつとその視線を下へ移し、交わりを結んだ場所を見た時にはさすがの彼も手が止まった。

「……っ」

 女の純潔の証が混じったほの白いものがあふれている。2人の間に何が起きたのかを端的に語る証拠を前に、欲望の残滓を目の当たりにする決まりの悪さは格別だ。それでも常ならば既に身支度を整え部屋を出ている頃だからこそ、ノアをこうしてこの場に留めていたのはそれにも勝る感情だった。
 ルーチェの身体をできるだけ隈なく丁寧に清めてやった後、殺し屋はベッドにかけられた上掛けで彼女の肌を覆い隠す。そしてやって来た時と同じ黒い服でその全身を包み込むと、眠っている娘の安らかな寝顔を寝台の隣で確かめた。

「……ルーチェ……」

 ノアはその名を囁くと、そっと頭を傾けて口づける。名残惜しげに彼女の髪を片手で一撫でした殺し屋は、ルーチェの眠りを妨げないよう静かにその部屋を出て行った。
 ポンチョの裾を翻した男は真っ直ぐにイザベラの元を目指す。殺し屋の胸には既にある決意がはっきりと形を成していて、これからそれを告げに行く相手もノアの報告を待っている――かつて彼女に触れもせず夜を過ごしたこともあるその部屋で。

「ベラ、話がある」
「……ノア? ずいぶん遅かったじゃない。ちょっと寝ちゃったわ」

 イザベラの部屋の扉を開けるなり男は一言そう言った。うたた寝でもしていたのだろう彼女は肘掛け椅子から立ち上がり、煙管に火を点け一服しながら殺し屋の方へと歩み寄る。

「話? まあいいけど……それよりどうだったの、あの子。ルーチェは」

 イザベラは先に待ちかねた本題の話を進めるつもりでいたのだろう。だがノアは灰青色の眸を彼女に向けると淡々とした声でこう告げた。

「話というのはそれだ。あの女に――ルーチェに、今後一切俺以外の客を取らせないでもらいたい」